不調です

 実は虫歯だらけで治療済みの金属歯がいっぱいあって歯医者さんいなかったら死んでるみたいな俺なのですが、それは「人生40歳にもなったらもう終わり」みたいな将来感から自分を大事にしてこなかった若い頃の延長線であって、それなりに人生が歳食っても楽しいと分かってくると健康で長生きしたいと歯磨きも趣味になりました。

 あとはアレですね、日本には虫歯や味噌っ歯は昔いて今もいるかもだけど、米国では歯を磨かない奴はアウトみたいな体験を三日ほどで強烈に刷り込まれたのもあります。いや日本でもアウトだとは思うんです。そういう文化圏ももちろんあると思います。けど歯医者さんがいっぱいることも考えると、そうでない人もいることが類推されて、俺の行ったアメリカがアメリカの全てでも無いと思うので、案外とエチケットに気を遣うちょっとしっかりした人に囲まれてバカにされたくらいのことかも知れませんが。

 その意味ではお洗濯も面倒で以前は服のまま寝たりもしてましたが、汗くさくなるので寝巻に着替えて起きて同じ服を着るとか、そういうぐうたら生活です。だいたい着替え自体が1週間分も無いかもしれません。服買わなきゃね。そうだそれにお金使おう。

 んで体調的に不調なわけです。花粉症は発症してから40代までしんどくて春が憂鬱でしたが、最近はそうでもなく。金属歯の詰め物が連続で取れて、治してもらっているところ以外も詰め物が取れて、しかし歯医者さんは予約制だから取れたまま2週間ほど先になったのが先週のとこ。来週には見てもらえますが、詰め物の取れた歯の歯茎がプックリと腫れて、しかしこのくらいの痛みなら我慢できると我慢していると肩こりやら何やらが来て、それを辛いなぁと思っていたら半日くらい過ぎてしまう感じです。

 他には肌荒れ特に手荒れがひどく、これに食の改善を試みようと色々と試していると歯の詰め物が取れたと。

 そのちょっと前には原因不明の右手首の腱鞘炎でこれも放っておいて今日はマシです。月イチで病院行くのですが、その時にお薬もらう時に薬剤師さんに「御変わりないですか?」と尋ねてもらうんだけど、薬まとめて出してくれと言うわけにもいかず「あちこち悪いです」「ひとつずつ専門の先生に診てもらいましょうね」って話です。

 酒とタバコはやめられず、今日もコンビニに昼飯とタバコを買いに行くとおにぎりと唐揚げ棒以外に野菜の入ったお総菜を足して、穴の開いた歯でもしゃもしゃと食ってその後歯磨きして、そしてブログを書いている今は腫れも引いて、けだるさが残り。

 んー、ブログに写真乗っける被写体を何にしようかと部屋の中坊本棚にしました。

 明らかに中学が勉強不足だったので、中学をもっかいやろうとしたんですよね。小学校で優等生、高校は受験生で中だるみがあって、その頃に付かなかった基礎学力が問題で、専門学校で二種取って一種を目指そうと思ったら資格制度自体が変わったくらい月日が経ってんだけど、それで応用情報を目指すより中学の勉強をもう一回。

 それで中卒でゲーム作ったとかいうような先達の話も聞いていたってか読んでいて、何か難しいことを学ぶのではなく、やさしいことを網羅的にやっている間に自分なりの興味関心が移って行って、そして「そこをもっと」と思う部分は実は一見すると難しいことで解決しているようで、難しく言って実は分からない事を包み隠しているだけみたいなことに気付くと、小高てのがアンバランスで中学を添えることで小中高で初めて嘘が嘘であると分かるみたいな気付きがあって。

 そうするとソフトウェア工学みたいなことも、C#とかPythonに行くのかなと思いきやVBだけでもやりたい用事がほぼ終わってしまい、プログラミングから画像や音声に興味が移り、コンテンツだと思っていたものはRPGのセリフ回しで作られた虚構であって、スーファミで絵が変わっただけに見えたアクションゲームとかの映像音楽それそのものが実はソフトウェアの価値かも知れないなと懐古趣味に思えた部屋のクソゲーやり込みが実は名作だったみたいな感性に変わって、ギターもやって歌も色々と聴いて、なんかじんわり入ってきたなぁと思うと40歳のつもりが46歳になっていた。

 そこで体にガタが来たってか、元々自分を大事にしてなくてズタボロだったところが完全主義みたくひとつひとつ気になりだして、セルフメンテナンスと通院を交えて。

 まあ前向きにとらえると歯茎が腫れるのは膿んでいるという事で白血球が免疫として自己防衛的に働いているという事なので、そのうち勝手に治るんちゃうかという楽観と、歯それ自体は自然には治らないという知識で腫れが自然に引いて来週歯医者さんでお薬入れてもらって詰め物治してもらったら、またおいしく食べられるようになるという希望が色々やって達成感のあとに虚脱感を感じてたのが病苦で辛みに変わって次に治る希望になる。波打って上がり調子の時にだけ幸福とか成長をいうか回復を感じるのだろうなと思ったわけです。

 病みも辛さがひどいと死んだ方がラクなんちゃうかとか思うんだけど、そこよりかは回復に向かう希望が見えるところまで良くなってきているからブログも楽しく書けるわけで。ただ今日は鉄拳5をやろうとかは思わなかったけど、朝起きる前に見てた夢では最新のゲーム機が欲しまっていて、起きたら夢だったことに気付いて朝飯前にはPS5でも買った方が良いかなと思ったけど、今日ブログに書いたように服を買ったりメシを良くして健康に向かうのが先かなとは思う。医療費も出ていくからね。

 その間にはPS5に本体を買い替えたらレバーコントローラーなどの付属品の買い替えか変換コネクタとかで辛抱するとするとそういう周辺機器のレスポンスタイムとかの当たりハズレで買い替えたら背負い込む厄介が計り知れずたくさんあるなと思うなど。

 それ行くとその前にケータイと枕カバーと敷布団も新調したいまま古いの使ってる。

 貧しいのには慣れちゃうとかなりどうでも良い事なんだけど、困る前に先手を打つのは何かが違うような気もしていて。「まだ行ける」の連続で真綿で首を絞められるように貧困と病苦が迫ってきているのかもしれない。それは抗いがたい歳のせいかも。

 長文ブログを書いている間に歯茎の腫れはくぼみになって痛みも全く無くなった。それに伴うものと思われた左半身の冷えもほとんど感じなくなった。けど、もうすること無いなーという虚脱感がまた現れ始めている。ここいらで書くのをやめておこう。

鉄拳5デビルジン雷神に昇格!

 まあ題名の通りそんだけです。

 鉄拳7の世界王者knee氏と思われるknee氏のブライアンと誰かのデビルジンの12年くらい前の鉄拳5の動画を1本観戦しました。今なら分かるってか、その頃はknee氏の事も知らなかったのですが、浮かせコンボ以外の細かいしていることが確定反撃やジャブ牽制のヒット確認LPRKなどかなり攻略として似たところは突いているなと。

 ただこれ12年前なので、なんだかストIIXのウメクラ動画を今更に見て弾ジャンケンが分かるみたいな、活字にはなっていないけど不文律というか本人たちは論理的に分かっているのか体感学習から来るものなのか考えると、ゲームの仕様なわけで体感学習であっても明文化されていないだけで「絶対に分かってやって隠している」というスタンスでもって観戦していました。

 さすれば、負けている方のデビルジンはわざと1本取らされて本当の強行動が分かっていないかもしれないという視座に立って、そうするとジャンケン運ゲーのようでジャンケンがジャンケンとして成立する最強行動同士の三すくみで負けているのではなく、食らってもらった技を強いと思って出して手玉に取られているという解釈になる。

 これまだ今もknee氏が最強なら12年破られていない事になるんだけど、鉄拳8の世界チャンプは外国人だけど違う人だったような。日本は負けているけど日本の商品で世界で流行っているなら商売としては勝っているというバーチャ2のおさらいさね。

 いやそれ言うとエレクトリックアーツ社のゲームが面白くても邦人としてそれは隠してこっそり自分たちだけで楽しむっての、パソコンをMacにしたときもそうあれば得だったのかなと今更に思うのです。アンフェアよな。今はまた富士通を使ってますが。

 ケータイの電池が弱くなって来て買い替えを考えたら富士通は既に撤退したようで。

 恐らく世の中のほとんどの人はケータイにAppleとかAndroidがあって国産でもソニーパナソニック富士通、シャープと色々あるようにバーチャファイターと鉄拳の違いもセガファンとかナムコファン(またはソニーファン)程度の事で、ボタン押して殴れてスコボコに出来て何面か進んだら敵が強くて負けるくらいのゲームとして見たら同じようなものなのかもだけど、商売の体として「お客さんの方が詳しい」というのが家電の鉄板ロジックで覇王も鉄拳王も「詳しいお客さん」なのではあろうな。

 ただ「詳しいお客さん」というのは各社製品を比較検討したりして、間違いなく日本の経済の柱である家電を流通させる意味で欠かせない存在であり、愛社精神と呼べるくらいのものを持ち合わせていて、メーカーが偉くてお客さんは買い手という意識は捨てなくてはならないかもだ。明らかにお金を出して利便性を享受する以上の活動をして経済を支えている。

 それで勝敗の付くところがあるから、秘匿している色々な勝負のロジックもゲームクリエイターが意図した以上の裏面要素があって、だからしてひとしきりクリアしたら飽きるコンピュータゲームを対戦型でより面白く思わせてくれるのかも知れないよなと。

 鉄拳作ったスタッフでkneeさんより強い人ってのは恐らくいないんだと思う。それは将棋のルールを考えた人が最強の指し手とセットで作ったわけではなくゲームのルールと攻略法が時代を隔てて別々に確立されたという事と似ている。

 ただ、コンピュータ戦も長いことやり込んでいくと粗探しで勝つのではなく、定跡的に強行動を見つけたつもりでそれをなぞると、コンピュータはちゃんと答えになる返し技を用意している。それを毎回確実に返してくるわけでもなく、乱数か何かで受けたり返したりという風に出来ているので、疑似対戦が成立するのだ。

 その中でコンピュータが勝っても仕方ないので勝たすようには出来ているのか、PS2のCPUを画面表示とか音声に割り振った後に余りとして思考ロジックを許す限り強く作ったのか、そこらへんはプログラマとしても推し量りかねる。

 コンピュータと勝負して面白いかという軸で、プロでカネもらってゲームしている人を相手にカネ払って勝負できるのかというお金の軸も考えると、電気代だけで遊べるなら鉄拳5のコンピュータ戦でも疑似対戦として十分と思うことにしている。

今年も庭にオッタチカタバミを見つけたの巻

 去年咲いたオッタチカタバミは親父が秒で摘んでしまい撮影する間がなかったが。

 まあ草ぼうぼうになって親父がしてくれないといずれ自分で草引きをと考えると撮影できなかったなんてのは小事なのであろうが、今年はデジカメで撮っておいた。

 ちょっとした日陰でも。

 用水路の脇にも。

 手持ちの図鑑で見たところ「オッタチカタバミ」であると思われる。

 ボッタチカタバミと覚えていて「ボ」で索引を調べるも見つからず、カタバミ科をひつづつ見るという。俺のブログにも結構なtypoがあるが、間違いを正さないでおくと受け手の人に間違いが間違いのまま伝播したり、調べ直しの手間がかかりそうだが、そもそも本を読むというのはそういう風に幾つか突き合わせて本当の事の輪郭が見えてくるものであり、絶対書物のようなものがありそれがなんでも正しい、正しさの源であるみたいのは中学の時に学校で配布された「理科事典」などが中学の俺のバイブルであったが、そういう本では無く易しい本とフィールドワークを組み合わせて自分なりの世界観を持つことが本当の理科勉強なのかも。実験不足よな。観察不足もあるが。

 図鑑の写真では群生しているようだが、ウチでは1本だけピンとオッタッテいる。

 ではなぜ俺のブログでオッタチカタバミだけを取り上げているかと言うと、庭には数種類の草が生えているが、図鑑で調べて名前が分かったのが此奴だけなのだ。

 本当に、本屋と図書館の図鑑をまあくまなく全部見たわけでもないが、ひと通り調べて、分からない草が色々と生えている。アパート建設などもあったので、分からない草は建材とかにくっついた外来種かもしれないしなぁ、とは思う。

 NHKドラマ「らんまん」の牧野万太郎博士の回は終わったし、自分でも忘れ行くのだろう。興味がそこまで長続きしないからだ。ただ、時々は思い出す。これらの雑草はすべて何らかの薬草になるかもしれないって東洋医学ではそう考えるらしいから。

 食ってみようと思うほど食に困っているわけではないが、健康面では手荒れがある。

 イタリアンパセリが肌に良いらしいが、そうさね最近エビフライとかの付け合わせにパセリが乗っていても、わざわざ食わずに捨てるようになってしまったな。


🄫1999-2023 id:karmen