震災6年目でドキュメンタリー番組が流れてて

テレビに洗脳されるのは嫌だけど、家族がテレビ見て素直に悲しんでて。

俺は何を思えばいいんだろう、と。

週刊誌のある住職の方の記事を読んだ。お葬式は死者のためにするのではなく、子供の世代に死を通じて人生の意味を共有するという役割があると考えているんだとか。

悲惨なニュースもまた何気ない暮らしの何気なさが有難いものだと改めて思わせるものかもな。

よく自殺を止める文句に「生きていたらまた良いことあるから」ってのがあるが、それは生きていて良いことがあった人の意見であって、母方の農家の爺さんがなくなる前にコタツでテレビを見ながら「何にもない人生だったな」とこぼしたことを今でも覚えている。俺は孫なわけだけど、近頃は子や孫がいるだけで嬉しいって価値観が当たり前になってる中で、爺さんの場合は長男と嫁の間には子供がなく農家の後継ぎはいなくて、もう死ぬるって際になって親戚一同寄ってきて孫の顔を見て、そこで一緒に話して「何もなかった」という言葉が出たのってどんなだろう。

俺はまだ39歳だけど、例えば今日の晩死ぬと言われても多分いつも通りに1日生きて死ぬと思う。小さな出来事が多いけど、色々あって今まで生きてて良かったと時々思う。どちらかというと叶えたい夢とか先々の楽しみって今を苦しめるから考えない。

それでも、ギターの練習だけはちょっとやってる。また良いことあるかも知れないし。

ひとりのために

ユーチューブで弾き語りをやってた時、最初はそういう人自体少なかったのと、著作権付き動画の制限が厳しくてテレビをエンコードしたような本物動画がなかったのが合わさって、曲の名前で検索した人が自分の動画に集まってめbっちゃ下手なのに1万人とか集まったことがあったんよね。

で、まずカネで揉めた。自分のギターではなくバックを作ってもらってカラオケ状態の動画に人が集まるとオケ作った人から「儲かったなら分けろ」となって、儲かってないんですと返しても信じてもらえずとりあえず削除で許してくださいってひとつ消した。

コメント欄も荒れた。本物だと思ってヘッドホンで聞いたら下手くそだった、歌の途中で口に唾がたまって「にちゃっ」て鳴った音が聞こえて反吐が出た、とか、まあ全部分かるから、すいませんと引っ込めた。

そして、アクセス解析が発達して動画のいいねや再生回数だけでなく、平均で何分何秒見られたかと分かるようになってくると、ほとんどの人は数秒で消してることが分かって、自分でもそれが嫌になってついに全部の動画を引っ込めた。

しかし、全部引っ込めると「本物だと思って再生したらカバーだったのが嫌だった。やるならニコニコでやれ」というようなカキコを見つけてニコニコに引っ越すと、まあ見てくれる人はいるもんだ。少ないけど。

でも、最近になってようやく、それでもライブハウスでチケット買い取って自分で売ってるミュージシャンからすると考えられないような数の人がネットなら見てくれる。まあ、チケットはおかね絡むから別問題かもだけどさ。

それで活動も練習もやめちゃって忘れてたところに、アクセス解析の平均値でほぼほぼゼロに思えてた「最後まで聞いてくれた人」がひとりでもいたなら、ああ、それは届いたってことなんだってやっと分かってきたんだ。

いや、最近もう「ゆうめいににゃりたーい」とか言ってないで、本当にひとりのために真面目に何かをするってこと、大事だなって。.rar

雨の音色ってどんなだろう

近頃アコースティイクギターと電子ピアノ縛りの音楽にハマってる。

素直に楽器も良くて演奏も上手いと良いもんだって時に、ふと憧れていたミュージシャンが「もっと良い音楽聴きなさい」って言ってくれたの思い出しました。えっ、俺が聴いてるアナタの音楽って最高じゃないの?だって俺が聴いてんだよ?みたいな感じですよね。当時はさ。

好き嫌いは人それぞれで、でも良し悪しって尺度はどこかにはあって、俺はまだその基準がどの辺にあるのか審美眼を持っていないのかもなって何となく聴きたくなったレコードをかけたんですよ。

まずは「7月の雨なら/西脇唯」(初めて買ったレコード)

次に「雨のMelody/Kinki Kid's」

7月〜はシンセサイザーのチャカチャカを受け付けない人もいるかもだけど、ちゃんと雨の音だ。ポツポツ落ちる音や窓に垂れる音がモチーフになって表現されている。

そんで雨のMelodyの方はギターだ。これはもう、自分のギターで真似しようとしても音程の問題ではなく音色の問題だなってやっとわかってきた。

泣きたい時に外で雨が降っている。実はそれだけでも癒される。雨が鬱陶しくて嫌いな時もあるけど、優しい時もある。それは音楽も同じで、こんな曲を聴きたくなるのはやっぱ何か心が求めているんだろうな。

明後日は3月9日でレミオロメンが流れてるけど、瞳を閉じればアナタがまぶたの裏にいることでって来ても、強くなれない自分がいて、遠距離とか片恋のつらさから近くの誰かに甘えたくなると同時に別れのようなものがよぎって雨音が聴きたくなった。

はじめはザーザーと降っていた雨がやがて「しとしと」になり、ふりやんだ。

ハッピーな音楽でハッピーになっても、いつしか慣れて普通になる。

一人の部屋で色々な音楽をかけて嬉しくなったり悲しんだりと、ブランコのようにゆりかごのようにゆらゆらと遊んでいるのかもしれないね。


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