最近はギターの稽古が身を滅ぼす元になっている気がして。
辞書には「芸は身を助ける」と「芸は身の仇」とも載ってた。
芸は身を助けるというのは
道楽で身につけた芸が
落ちぶれた時の収入になる
という意味。
だから芸は身の仇と矛盾しているわけでもない。
一芸を身につけると食ってく助けになることもあるけど、
入れ込みすぎは身の仇になるってことなんだな。
ここはマディーウォーター
あっちの水は甘そうだ
楽しいのはいつも最初だけ
なんかなぁ。
最近はギターの稽古が身を滅ぼす元になっている気がして。
辞書には「芸は身を助ける」と「芸は身の仇」とも載ってた。
芸は身を助けるというのは
道楽で身につけた芸が
落ちぶれた時の収入になる
という意味。
だから芸は身の仇と矛盾しているわけでもない。
一芸を身につけると食ってく助けになることもあるけど、
入れ込みすぎは身の仇になるってことなんだな。
ここはマディーウォーター
あっちの水は甘そうだ
楽しいのはいつも最初だけ
なんかなぁ。
粉雪と3月9日しか知らないレミオロメンなのですが。
すごい!ベスト盤聞いても粉雪と3月9日しか良い歌ない!(今、南風、雨上がり)
でもね、後々になって良かったなと思う歌って初めは[>>]ボタンで飛ばしてた歌だよね。(と、太陽の下で言ってみる)
あとちょっとだ。次に粉雪でそのあと2曲。
もともと音楽は好きなほうなんだけど、音楽で趣味の合う友達って昔は少なかったな。だから自分がちょっと変わってて、普通の人はテレビや有線でかかってるヒット曲をサビくらいしか知らなくてミュージシャンって何か特別な存在だって考えてたんだ。
それはギターを弾くようになってから少しずつ変わってきて、いつも通り過ぎていた楽器屋のおっちゃんが髪を後ろで束ねてたんだけど、一度お店にある一番高いギターを試しに弾いてみたいってお願いしたんだ。すると気前よくチューニングして渡してくれて、店の前に椅子置いてアンプめっちゃ大きいの繋いで「さあどうぞ」って。そん時までギターは家でDVD見ながら覚えてYouTubeで弾き語ってたので、リアルに人前で弾くの初めてだったんだ。そんで弾いてみると「なかなか上手いやん」ってなって、店のそばにいた人も「あの楽器屋って寂れてて使い物にならない骨董品置いてる店だと思ってたけど良い音なるギターやねんなぁ」と。おっちゃんも友達に「ここまでやる子なかなかいないから」って言ってくれたんだけど、サービス以上に俺のこと高校生くらいだと思ったんだろうな。「いや、」年言いかけて「褒めてもらったの初めてです」と。
そのあと、また楽器屋さんの前を通った時にふっと中をのぞくとおっちゃんが気づいて後ろで束ねてた髪のバンドを解いたんだよね。
すると、その白髪は長髪でパーマ当たってんの。ニコッと笑ってまた束ねた。
やっぱ粉雪はキーボード打つ手が弾むわ。(今、紙吹雪)
あれから音楽好きのつながりはふんわりと増えてきた。
さあ、最後の曲はじっくり聞くぞ。
テレビに洗脳されるのは嫌だけど、家族がテレビ見て素直に悲しんでて。
俺は何を思えばいいんだろう、と。
週刊誌のある住職の方の記事を読んだ。お葬式は死者のためにするのではなく、子供の世代に死を通じて人生の意味を共有するという役割があると考えているんだとか。
悲惨なニュースもまた何気ない暮らしの何気なさが有難いものだと改めて思わせるものかもな。
よく自殺を止める文句に「生きていたらまた良いことあるから」ってのがあるが、それは生きていて良いことがあった人の意見であって、母方の農家の爺さんがなくなる前にコタツでテレビを見ながら「何にもない人生だったな」とこぼしたことを今でも覚えている。俺は孫なわけだけど、近頃は子や孫がいるだけで嬉しいって価値観が当たり前になってる中で、爺さんの場合は長男と嫁の間には子供がなく農家の後継ぎはいなくて、もう死ぬるって際になって親戚一同寄ってきて孫の顔を見て、そこで一緒に話して「何もなかった」という言葉が出たのってどんなだろう。
俺はまだ39歳だけど、例えば今日の晩死ぬと言われても多分いつも通りに1日生きて死ぬと思う。小さな出来事が多いけど、色々あって今まで生きてて良かったと時々思う。どちらかというと叶えたい夢とか先々の楽しみって今を苦しめるから考えない。
それでも、ギターの練習だけはちょっとやってる。また良いことあるかも知れないし。
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