KOF'94餓狼チームでやっとこクリアした!

ストリートファイターIIの対戦は待ちハメ無しが議論されて当時のプレイヤーは聞いたことあったかもだけど、KOF'97くらいからゲーセンで対戦を始めたニューエイジカプエス2で何度かひどい目に合わされた。彼らは待つしハメる。

チーム戦で体力が引き継ぎ制であるがゆえ、2試合目以降は体力差が付いた状態で始まる。そうなると、負けた側は次のキャラが体力マックスで始まって相手は体力が減っているので、開幕からタイムオーバーまで待つだけでとりあえず敬遠して1キャラ減らすことが出来る。それにコンボゲージやキャラ相性を組み合わせて勝とうとしてくる。

KOF'94もその方法に則って、ブラジルチームのハイデルンとラスボスのルガールを倒すことが出来た。最初から最後まで待つってオモロイか?と思っていたが、負けるよりは勝つほうがオモロイ。テリーで減らしたハイデルン相手にアンディでひたすらガードしてクロスカッターでタイムオーバーまで削らせて体力勝ちして、ルガールもテリーで減らした体力をジョーでタイムオーバーまで守り、脱いだ後は一度均衡するもアンディで投げが一発通って、画面端々になると烈風拳を打ってきたので飛翔拳で相殺するとまた烈風拳に飛翔拳、烈風飛翔烈風飛翔と40秒くらいコマンドミス無く相殺したらタイムオーバー直前でゴッドプレスを出して飛翔拳に突っ込んでからカイザーウェーブを出してきてガードでタイムオーバー。クリア。

KOFのコンピュータはタイムが余っているときとタイムオーバー直前でロジックが違うところが面白い。

クリアしてみて「ああ、これだけのことだったのかも知れないな」と。

ストリートファイターIIの発売すぐから待ち戦略が強いのは常識だったけど、必殺技の削りが多く、歩き投げの間合いの広さや投げから投げハメに行ける攻めのシステムも強いからストリートファイターIIはそこそこバランスが取れていた。そこで出来上がった動きに乗っかるだけで深く考えずとも勝てることが多かったけど、負けた時にとにかく連コインで突っかかって冷静さを欠いていたこともあったっけな。

というか、ストリートファイターIIのコミュなら待ちハメはもちろんタイムオーバー狙いも「寒い」だった。強さを求めているようで実は人間関係に波風を立てない勝ちすぎず負けすぎずの馴れ合いであって、そこに属している以上は成長できない部分もあったんじゃないかなと。

そのへんはプレイヤーがそういう戦略を取るならKOF'96でガードクラッシュが付いてバグの取れたKOF'97で再び対戦が次の世代で盛り上がったように、プログラムに欠陥があるならメーカーがそれを直すまでその戦略で勝ち続けるタイプの人間がいても1年経てばまた関係性は変わっていったし、新作が出るのも毎年の楽しみだったな。

SDL MAMEでようやくネオジオが動くようになったぞ!

俺のマシンで動くようになっただけで世界的にはニュースでも何でもないけど。

久しぶりに遊びたいなと思っていたKOF'94をイタリアチーム(餓狼チーム)で。

思い返せばKOF'94発売当初はネオジオを持っておらず、ゲーセンでも数回止まり。期待していたけど龍虎の拳餓狼伝説よりキャラが小さく地味で味気ない。ゲーセン仲間はだいたいみんなクソゲーだと言っていて、俺も最初はハマらなかった。しかしネオジオを持っているやつは面白いという。なんだろうと思っていた。

後々に分かったことだが、コンピュータが単純なパターンではハマりづらく手強い。

バグ技や即死コンボがあるので、システムの穴をつくように攻略する人が多いけど、コンピューターは飛び道具を避け、投げハメを小技で返し、たまに相手から飛び道具を撃ち、待っているとステップで近寄って投げてくる。

これはつまり、AIとの対戦だ。

将棋や囲碁ほど複雑なゲームでないがゆえ、1994年の16ビットのコンピュータでも格闘ゲームのAIはここまで強く出来るかと。いや、そこまで強いわけでもないかもだけどさ、充分勝てるけどさ、強いんですよ。

単純に16キャラの餓狼伝説スペシャルを攻略するのは自分のキャラを決めて16通り攻略すれば良いけど、3キャラ8チームのKOF'94を完全攻略するには自分のキャラ3人で24キャラとランダムに対戦するので72通りのハメ方を知らないといけない。エースを決めて勝てるようになっても、ラウンドを落とすと自分の不得手なキャラで戦うことになるので、エースを先鋒にして負けるとなし崩し的にゲームオーバーになったりする。

そんで、他に気付いたことはアンディの昇龍弾とジョーのタイガーキックは両方とも対空技で昇龍弾が波動拳コマンドなのに対してタイガーキックは斜め上まで入れないといけないの、これ確実にタイガーキックのほうが弱いよね。コマンドは難しくとも極めれば同じになるという持論を持っていたことがあるけど、今から論破する。

まず、極めても1フレームコマンド入力時間が長いので発生が1フレーム遅いのと同じであること。昇龍弾は波動拳コマンドなので、入力の最後が歩きになり、そのコマンド最後の歩き部分と猶予フレームを活かして距離やタイミングの調整が出来る。それに対してタイガーキックはドンピシャで入力しないとジャンプしてしまう。だから類似の技でもコマンドが易しい方が強い。

今まで何となく俺の場合はテリー、アンディ、ジョーの順番のまま遊んでいたけど、ジョーを先鋒にしてテリーを中堅にしてアンディを大将にして遊ぶほうが良いかなとあらためて考え始めた。

なんか、対戦で人に勝つというのが主眼だった頃は人との勝ち負けとそれに伴う人間関係の序列しか眼中になくて強ければ何でも良いと思っていたけど、コンピュータを相手に色々のキャラでクリアしてエンディングとストーリを楽しむという遊び方もそれはそれで支持されているだろうし、そうしてみると今まで対戦だけでは気付けなかったことがどんどん分かるようになってゆく。コンピュータ相手なんだから勝っても負けても嬉しいとか悔しいとか誇らしいとか恥ずかしいって感情がわかない性格だったけど、自分で将棋のプログラムを組んでみて自分で戦うというような経験を得てから、世の中のゲームの色々なロジックに深い興味を抱くようになり、ついに最近ではコンピュータ戦のほうが面白いとまで思うに至った。

だけど、その分ちょっとさびしいの。

ヴァンパイアのビシャモンはつまり餓狼伝説2のアンディの残影拳ハメと同じかなと

 ヴァンパイアハンターというゲームにすごく入れ込んでいたことがあるのですが、久々に遊んでみると「どうしてこんなゲームに夢中になっていたんだろう」と月並みに言い尽くされて風化した感想を抱いたのですが、分かるまで考えてみました。

小学校の時に将棋が強くて、まあでも39歳現在で4級と将棋指しとしては弱く、趣味人としては人並であることが既に分かっているのですが、将棋やオセロのようにコンピュータが強いことが明白な論理思考型のゲームを好んで、トランプのババ抜きのようなゲームには何か嫌な感覚を持っていたんですよね。

これは論考を重ねて苦手を克服したのですが、確率を学ぶと人によっては平均化願望というのを持つんですよ。ジャンケンでグーで2回連続で勝ったら次は手を変えるだろうという風に、選択肢があると何もかもその分散具合が平均的になるという単純な計算をしてしまうんです。これは例えばハイアンドローのようなギャンブルや半丁博打で負けが込むほどに「そろそろこっちが来てもいいのに」と思いながらローばかり賭ける、半ばかり賭けるというような心理です。しかし、そう思い始めると相手が操作できるものなら負け続ける可能性も出てきます。

このへんが、ヴァンパイアハンターとどう関係あるかというと、ヴァンパイアハンターにはリズム感のチェーンコンボとコマンドの速さが必要なガードキャンセルを始めとして、ひとつ駆け引きに勝つと詰め将棋的に大ダメージを与えたり、操作が正確だと待ち続けて返し技に専念できるという駆け引きの弱さを克服できるシステムがたくさんあるんですよね。このゲームなら誰にも負けないほど強くなれると思ったんですよ。

そんでも20年くらい経ってみると、しつこく続けた人の動きが自分の最盛期と同じくらいになって、やはり駆け引きに勝つものが勝つゲームに落ち着いたと思ってます。回りくどかったわけですよ。

その回りくどさは例えば将棋がコンピュータの進化で先手必勝になるとすると、最初の振り駒でカタが付いてしまうわけですが、だからと言って「将棋の本質は振り駒だ」と結論づけてしまったら、それは違うだろうと。やはり先手後手の違いはあれ、コマの取り合いと王将を巡る攻防が将棋の面白さですよね。

そうすると、やはりヴァンパイアの面白さはアニメーションや音楽の良さはもちろんとして、ゲームとして考えると詰め将棋的なコンボやハメの手順の複雑さにあるのかなと。

あと、ストリートファイターではダルシム餓狼伝説ではアンディを使って、シリーズが変わっても基本戦略に変化の少ない主役キャラに憧れたこともあって、ヴァンパイアハンターではタイトル通りヴァンパイアの主人公の吸血鬼デミトリを狩るドノヴァンを持ちキャラにしていました。荒木飛呂彦の影響が強いキャラなので「この人ジョジョファンなのかな」と思われたこともありますが、今作こそ主人公をと思い立ったゲームがヴァンパイアハンターで、不運にも続編のヴァンパイアセイヴァーには登場しないので、結局は主役だから基本戦略が変化しないという最初の目論見は達成されなかったわけですが「堂々と主役を取る」という自分のキャラの立て方で強気に張ったゲームがヴァンパイアハンターだったんですよね。忘れかけていたけど思い出した。

それからストリートファイターリュウで、餓狼伝説をテリーで遊ぶように変わって、昔の仲間からは「らしくない」と言われますが、脇役症候群の後ろ暗さは治ったのでトレードオフかなと。

そんで、ヴァンパイアハンターの主人公は新キャラだったわけですが、ヴァンパイア初代の持ちキャラはアナカリスビシャモンで、結局はリーチの長いダルシムのセオリーとビシャモンのダッシュ強キックしゃがみキックキャンセル跳ね刃からまたダッシュ強キックという攻め方は餓狼伝説2のアンディの残影拳しゃがみキック残影拳の繰り返しと何ら変わってない。操作が難しくなっただけ。ストIIダッシュのベガのダブルニーハメとも同じかもしれない。その状態になれば駆け引きが介在せず、操作を正確にやったものが勝つという詰みのあるゲームをいかに詰めろまで持っていくかという事しか考えられていなかったわけです。

そこに至るまでにコンピュータ麻雀をひたすら研究して、最初のハイアンドローに「そろそろこっちかな」と賭け続ける心理の脆さを克服しました。ゲームの本質が詰め将棋的なパズルになっている場合はコンピュータには敵わないので、何らかの非公開情報をめぐる駆け引きのあるものを好むようになったのです。

そうなると、一方的にハメているだけの状態はすぐに飽きて、相手にも何かすることがあって、それに対して自分はどう出るかという格闘ゲームの読み合いの核心に迫る部分で駆け引きをする楽しさに引き込まれていったわけです。ギルティギアよりはバーチャファイターのほうが遊びやすいという感じですね。

そこは人の趣味の問題だから、どちらが良いとか正しいといういうところに答えを落とし込むことはしません。コンボゲーなら面倒がらずにコンボを極めてから対戦したいと思うタイプです。

ここまで整理すると冒頭の「どうしてヴァンパイアハンターに夢中になったのか」の答えは見えたと思います。複雑ゆえ付き合ってやり込む人が少なく、やり込めば一方的に勝てるようになったからでしょう。

そして今では麻雀という特技があり、将棋もやりたければ相手は無数にいて、ゲームと名のつくものはたいてい得意になり、とりわけヴァンパイアだけが特別ではなくなったから「どうして夢中になったか」を思い出さなければ忘れているほど、良い状態になれたと思っています。


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