暇なら暇なだけ何かを詰めようとしてしまう

だいたい、勉強できる人は字が汚い。そうでない人もいるかもだが、試験はだいたい時間内に何問解けるか時間との競争だから必然的に丁寧に字を書く余裕は無くなる。学生時代のノートはとても読み返せるものではなかった。

だけどね、大人になってから自分の時間で勉強したノートは後から自分で読むために書くわけだから、最初は学生時代のノリで汚いノートだったけど、DS美文字でトレーニングしてキレイなノートを作るようになり、いつしかノートを作ること自体が楽しみになった。思えば学生時代は勉強不足だったけど、あの頃はどうして勉強が出来なかったかというと授業が速くて1日に何時間もあって集中力も続かないしノートやプリントを見返しても自分の字が汚くてイヤになったんだよね。マイペースこそ至上。

そのマイペースではいつまで経っても頑張る人には追いつかないのではと思っていた。本を読みながらウォークマンを聴いている人を見ると、倍の速さでインプットしている感じがして、でも読書や音楽鑑賞の深い楽しみでなく、何かを詰め込もうとするせせこましさや貧しさを感じるようになったんよね。

ところで、毎日1問詰将棋を解いているんだけど、俺よりずっと勉強のできる奴から「なんでミヤザワって何でも1回自分で解いて見ようとするの?俺なら全問先ず答えを見て覚えるけどな」と言われて、ますます俺は何かダメなのかと焦りが少しあった。それでも、マイペースで毎日1問考えて制限時間内に解けなかったら答えを見る繰り返しをしていると、初めての問題がいきなり20秒くらいで解けた。それまでには今まで何問解いたか忘れて最初のページから「これは解いたな」「これは答えを見たけど忘れたな」という反復の結果、なかなか進まなかったけど、ついに「これは初めてだな」と明らかに分かる問題を僅かな時間で解けて「実力ついたのかな?」思った。

1問を20秒で解けたから、毎日5分と決めている将棋の勉強を2問3問と増やさずに、今日はその20秒だけを勉強時間として4分40秒は別のことを始めようとしている。

そうこうしているうちに片付けないといけない書類を珍しくパソコンではなく筆記で書いていたら、学生時代のごとく字が汚くなっていた。ああ、美文字やったのにこのザマだという軽い落胆と、やはりこのペースでないと学生のごとく何教科とこなすことは出来ないのかもしれないなと思った。

何かを詰め込むのは忙しくしたいからでなく、暇でいたいから。子供の頃は宿題をためるタイプだったが、働きだしてからは仕事はなるたけ前倒しに詰めて、休むことが大好きになった。ウサギとカメの逸話が日本では重んじられるけど、カメとウサギの進行速度が一定なら計算して丁度追い越すように目覚まし時計をかけて寝ればいいんじゃないのって気はする。

ただ、難しいところは人生は一度のかけっこには例えがたいところ。仕事をバリバリしていたら趣味の時間がなくなって、気がついたら趣味に没頭していた人がプロゲーマーになって何となく羨ましかったり、かといって趣味につぎ込むと食事が貧しくなったり、欲張りに色々と追いかけるとどんどん雑用が増えて何のためにやっているか、自分がどうなりたいかすら分からなくなる。だけど、将棋なら詰将棋の本を1冊解こうという目標が出来て、それは進行中。少なくとも詰将棋の能力は伸びている確かな実感がある。

ただ「5分で初段」と書かれた問題を20秒で解いても現実には4級である。誰かに勝たないと初段にはならない。

人生において将棋を誰かと遊んだことは数えるほどしかなかったが、コンピュータ将棋から入ってネット対局を初めて2日で4級になった。しかし、それが将棋を趣味にする人の中央値くらいであって、支えている将棋指しをごぼう抜きするだけの才能は無いんだろうと思っている。だけど、人並みならば将棋の有段者が必ず通る詰将棋と手筋を学べば、自分も人並みには伸びるのかなと思ってる。

でもそこで詰将棋が速く解けただけで別の何かを詰め込みたくなる性格は、やっぱりどこかせせこましくて貧しい性根が自分の中にあるのかなと思った。将棋くらい弱くても気にしないで過ごせば済む話かもしれんからね。

小箱ひとつがMTGの丁度いい分量だと思うんよね

マジック・ザ・ギャザリングを趣味にするって月1万も平気で使ったことあんだけど。ダンボールふた箱くらい頑張ってる友人に送ったあと、部屋を掃除するとまだ出てくるカード達。眺めていると最近噂のモストドンを発見した。

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 なんで5マナ5/3の象がそんなにもてはやされてんの?プレミアとか付いてないかなとネットで価格見たら10円だったんだけど。まあでもこのカードはリミテッドだと緑のキーカードだよね。

振り返るとソード・ワールド関係の仲間がMTGをはじめて付き合いで少し買ったのがドップリハマってテクニカルガイドとディープマジックの翻訳本を読んでトーナメントにも出た。自分がそうやって遊ぶ前からカード作ってる人や輸入して翻訳している人もいたわけで。これらのゲームはパソコン買えない人の小遣いで遊べるデジタルゲームの代替品だったよね。

強いカードが好きな人の真理もわかるけど、それを相手も使うとデッキの有利は五分に戻るので、インフレして強いカードだらけのデッキ同士で対戦するならリミテッドでもゲームの駆け引きの楽しさは変わらないと思うんよね。

また持論を展開すると、成長要素のあるゲームで対戦する時に試合の開始時にハンデがあるのが明白だから勝つために頑張って育成するのは分かる。将棋のような対等なゲームの場合上手は駒を落として対局するのが普通だよね。そう考えを進めるとMTG業界は所謂強い人が強いデッキでカードを持たない人をいじめているだけだから。

ただし、将棋のように対等なら面白いかというと、将棋では勝てない相手でも強いデッキを持てば勝てる。そのデッキの組み合わせを考えるのもゲームの戦略のうちという建前があるんだけど、それらは商品で買って集めないといけないから公平な対戦のためには金銭的なハードルは高いよね。

お金を持っていれば必ず勝てるとは言わないけど、勝つためには買わないといけないわけで、それは将棋盤やオセロボードを買うよりずっと高いわけで。そういう貧乏人の論理で正論をつなげていくとMTGはすごくつまらない。そもそも、それにそれだけつぎ込めるお金と時間があるっていう状態がゲームするしないに関わらず楽しい恵まれた状態なんだよね。

だからMTGの面白さは貧乏人に分かれってほうが無理があって、みんなにMTGの面白さを分かって欲しいと心から願うなら先に社会をそれだけ遊べる人間がいる豊かな状態に持っていかないといけない。MTGは金持ちの子供を騙す悪意のある玩具だと捉えるほど、貧乏人は金持ちが身近にいると恨む。

どちらかというと本当に面白いなら子供向けでなくて年金暮らしのお年寄りがやらないわけないんだよね。MTG黎明期にはお金持ちの爺さんの柴田さんってパトロンがいた。

そんで奈良に新しいカードゲームショップが出来たらしいんだけど、キャバとか居酒屋がいっぱいある新大宮という立地で、そこそこ流行っている様子で、もう子供のわんさかいる三条通りのベンテンドウが閉まってダメだと思ってたんだけど、そう復活するのかと。

それはそれで商売としてうまいこと行っているなら敵に回して邪魔する道理もないんだけど、金持ちの子供をつかまえてハメるってのは悪だから。小遣いで1万円持ってるけど優勝賞金の200万円は欲しいっていうパチスロ的な宝くじ的な商売から逸脱して年金暮らしのお年寄りが遊ぶに値するゲームなのかってところがね。

今遊んでいる人が年金もらうようになっても遊んでるなら、それは浸透にそれだけ時間がかかる保守的で閉鎖的な日本社会のほうが悪かったってことになるのかもだけどさ。

モストドンから随分と脱線しちまったぜ。

トレカをもっと安く作れないものかと

ネット印刷のサイトを巡っていると部数が増えるほど1枚あたりが安くなり、2000枚くらいから1枚10円を切るので商売抜きで遊ぶのに丁度いい部数かなと思っていたのですが、マジック・ザ・ギャザリングは発売から6週間で100万枚売れたって歴史を知りました。桁が違う。

ホントいうと100均ショップでトランプが52枚で100円でサイコロ付きなのでトレカも頑張ったらそのくらいの値段にならんかなと。

各々がパックを買って自分のデッキを持ち寄るっていうマジック・ザ・ギャザリングの代表的な遊び方ではなく、その場で未開封のパックを3パック開封して麻雀のように遊ぶブースタードラフトという遊び方を何とかして1箱のテーブルゲームに出来ないかと考えています。面白い遊び方なのは分かっているけど、ちょっと大掛かりだからコンパクトに出来ないものかと。

マジック・ザ・ギャザリングって自分のデッキを作ったら、まだ見ぬ他のデュエリストと勝負ができるという少年の旅立ちみたいなメンタリティがハマる動機になっているかもだから、ゲーム制作者側が遊び相手として自分のデッキを持って接待に出ているという主客の曖昧な部分があるんよね。「売りつける」って感じじゃなくてゲーム作者自体が大統領の玄孫で自分で遊び方を考えて一緒に遊んでもらうために私財を投じて会社が乗った(または乗せた)そんなストーリー自体がそうそうあるものでもなく。

俺もカードゲームで遊びたいけどマジック・ザ・ギャザリングは高すぎるから自分で作って印刷代の元が取れるくらいの値段でカンパしてくれる暇な人いないかな。


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