アシナガバチはキンチョールをどのくらいかけると死ぬのか

庭に蜂が来て巣を作ろうとしているのか、木材をツンツンしているので殺虫剤をかけた。ハエに使うキンチョールのスプレーをシュッシュッと2回ほどかけて様子を見ているとだんだんおとなしくなって親父が住んでいる建物のドアにとまり、動かなくなったので放っておき、あとで見たら居なくなっていた。ドアの下には死骸はなかった。

俺が子供の頃には虫は結構いた。庭があったせいもあるだろうし、近所に誰も住んでいなくて手入れもされない藪がいくつかあった。水たまりにはボウフラが湧いてだいたい夏にはいつも虫刺されがあった。居間には蚊取り線香を置いて、変な虫が来た時には親父がキンチョールを持ってこれでもかと言うほど追いかけ回してシューシューとスプレーして、食事の時に殺虫剤のニオイが部屋に充満して、なんか飯が不味かった。

30年も経つと町の雰囲気も変わって、虫など珍しいものになった。庭に蝶やトンボが来ると飛び跳ねるほど嬉しい。普段いるのはダンゴムシくらいか。ただ、子供の頃は虫は何でも好きだったが害虫は困る。ゴキブリは滅多に見なくなったが夏には一応コンバットを冷蔵庫の下に置いておく。ぶら下げないよりだいぶ良いムシコナーズも吊る。

そして念のために置いてあるキンチョールなんだけど、果たして虫にどのくらい吹き付けるのが適量なのかと考えながら高校の生物の参考書を出してきた。今読むと「よくもまあこんなことを高校生に覚えさせようとしているな」と思う断片的な詰め込み教育の弊害のような参考書なのであるが、学校以外のどこでこんなことが学べるのかと考えると、俺の書棚の中の貴重な一冊なのだ。蜂の情報は見つからなかった。

仕方ないのでネット検索するも、まずキンチョールの成分とアシナガバチへの効用を直結した答えになる情報はなく、キンチョールの成分をみて即効性なのか遅効性なのか虫の大きさがどのくらいで致死量なのかと増えてゆく疑問に対して答えに当たる情報も薬理のように増えていく。

いや俺は昨日吹き付けたキンチョールが効いたのか知りたいだけなんだけど。なかなか、そういう風に物事を簡単に教えてくれる先生はいないようだ。

やはり親父のようにたくさん吹き付けるのは正解なのかもしれないが、俺の経験からは少量吹き付けておくと弱ってやがて居なくなるから、それで効いたのだと思うことにしている。スプレーだって高いんだから。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

大日本除蟲菊 キンチョールV 450mL 2本パック
価格:1,298円(税込、送料別) (2023/9/10時点)


 

六角の格子に蜂が寄ってきていると考えている

ウチは築100年くらいの古い家で昔は広い庭があった。

庭は5年くらい前かな、10棟建てのレオパレスになって家賃収入がちょっとあるんだけど、家の中の遊び場が無くなって「南の倉」と爺さんの代から言われている倉庫の前の小道でタバコを吸ったりしている。

そうすると、この季節は時々蜂が飛んでくる。それもミツバチのようなかわいい蜂ではなくアシナガバチやクマンバチやスズメバチのような大きい蜂が。

アシナガバチは市街地でも巣を作るとニュースで見たことがあって、ウチにも3年ほど前に巣を作ったことがあって、その時は近寄らないようにして冬になって蜂が居なくなってから巣を壊したんだけど、庭木もないのにどこから蜂が来るんだろうと不思議だった。

そうして、よく観察していると南の倉の二階の窓に六角に組んだの針金の格子が施されている。南の倉も家と同じく築100年ほどだと思われる。被害妄想かもだけど、お金持ちの家に倉を建てる時に職人さんが嫌がらせとして蜂が寄ってくる六角の格子を付けたんじゃないのかなって推理した。

虫の目は白黒に世界が見えていて、遠近感もおそらく人間とは違う。虫から見て六角の針金は巣のように見えてその習性から近寄りたくなり、そこに人が近づくと守ろうとして攻撃する。だから格子の針金を違う組み方にしてもらえば蜂が来なくなりそうだと考えて、倉の補修の時に親父に頼んでみたが「そうかなあ?」と訝しげにして放って置かれた。だいたい、家では俺の話を親父が聞くことはない。全てうわごとだと思っている。

まあ、自分の代になれば格子を変えようとは思っているが、蜂も時々来るだけなので考えも邪推かもしれない。毎年そこに巣を作るってわけでもないからね。でも、そもそも庭木もないのに蜂が来ること自体は今も不思議だ。六角の格子は昔の忍術だったのではないだろうか。

無いってわけでもないんだよね

「アメリカの移民入国禁止の差し止めを解除」というニュースを読んで入って良いのダメなのどっちなの?と頭が混乱してきた。5手詰くらいの詰将棋なら解けるので、なんだこれ3手詰かよと。ちょっと考えよう。

このブログは「分かりやすく」をモットーに書いてんだけど、俺は子供の頃から分かりにくいやつで「好きってわけでもないけど嫌いってわけでもなくて・・・」などとまどろっこしいことを言って自分の意志をハッキリさせず相手に決めさせるような言い回しをするやつだったんよね。

んで、それを分かりやすくしてみようかと。

先ずは二者択一のメリットが6:4の場合に4を捨てきれないとき。

次にイエスノーの確率が5:5の時で当たるか外れるか分からないとき。

たとえ確率的に9:1でも1が当たることはあるので、決めきれない時に自分では判断をくださずにまどろっこしく言い続けて相手が決めてしまうようにするってのが政治家的なやり方なんだよね。

「どっちかにしなさいよ!」という風にまどろっこしいことを指摘して相手に押し付けちゃうような相手は苦手だったけど、社会に出るとそうも言えない。

分からないってことでもないけど、未来のことは読み切れないことも多いから、決め事の責任を誰が持つかってのは会社組織なら「誰がクビになるか」という問題だし、こと俺のよくやっていたストリートファイターなら「ゲームが出た時に自分のキャラを決めてそれが不利でもアイデンティティのために取り続けないといけない」ということになるんかな。

そのへんが最近では「どのキャラが誰のものって訳でもないでしょう」って落とし所になって、それはそれで全うだと。 「キャラ選びは自由でしょ」だな。

また、例えば職業選択の自由が認められているのに医者には資格が必要というような法の矛盾にぶち当たった時。

これは長所短所やリスクリターンのような天秤の傾きとか責任とかそういう問題じゃなくて、分かりやすくすると「俺は良いけどお前はダメ」を無数の「こういう場合なら良くてああいう場合はだめ」に場合分けして手続きにしてるってことなんだよね。

このへんはもう、どっちかじゃなくて、殺人はダメだけど死刑執行はあり、銃刀法はあるけど警察は例外とか、分かりやすいところから始めて覚えるしか無い。

近頃は将棋のニュースが増えて楽しいです。詰将棋なら1冊150問あって順番に解くのが楽しくて、対局は相手次第で無数の展開になるので毎日遊べるんですよ。

5手詰めの問題を全部終わって今日から7手詰に取り掛かります。


🄫1999-2023 id:karmen