映画「カーズ」と「思い出のマーニー」を見た

金曜ロードショーと金曜プレミアム、かぶせてきやがったな!

カーズはもっと子供向けかと思っていたけど大人の哀愁を感じる映画だった。

マーニーはな・・・。もうええんじゃ。

マクロスデルタの第3話を先に見ていて、見ている時はテンション上がったけど、話が終わって4話の予告を見て再生が止まった時に「そんなに都合のいい話は無いよな」という喪失感を感じていたんだけど、カーズはな。見ている途中で何度か「退屈だな」と思いながらも見終わった後に戻ってきた現実の見え方が変わる映画特有のアレだ。

都会に行くととかく人との交流は頻繁に生まれるけど、満員電車や横断歩道の人混みの中でも孤独を感じるように、多いがゆえの「その他大勢感」があるよな。その中で主人公格になってみたところで、他の人間はどこか役としてやっている感もある。

そのへん、辺鄙なところで本当の信頼関係が生まれるってのもな。俺の人生はまだ話の途中ではあるけどさ、主役になりきって映画を見ているってのは子供の頃から変わらない。あるんだろうか、俺に続きのストーリが。どうなんだろうな。金曜ロードショーでなくて映画館でやっていた時期にこの映画を見ていたら在り方が少しは変わったかもなと思った。

やっぱね、映画はそのうちテレビでやるだろとかDVDやブルーレイになるだろとか思わずにタイムリーに映画館でみるのが良いもんだ。情報は時間とともに価値が変化する。

ただ、カーズの場合は時間が流れて風化し忘れられた情報の価値を思い出させる話なので、そのときに見ていたら分からなかったかもだ。

 

なんか自分の趣味をちょっと思い出したよ

最近打ち込めるものがない。

子供の頃からファミコンが好きでゲームプログラマーに憧れたけど、当時ゲームは「してはいけないもの」だったから小学校の自由研究でゼルダの伝説の地図を作ると書き直しをさせられた。卒業文集でも「ゲームプログラマーになりたい」はもちろん没だった。

そんなに成りたかったゲームプログラマーでもハードウェアの進化とともに今まさに作られんとしているものと子供の頃に作りたかったものは随分違うので合わない。

そんなことを悶々と考えながら、ふとあることを思い出した。

マジック・ザ・ギャザリングの大会で奈良のベンテンドウというおもちゃ屋に行った時に確か780円だった記憶があるけど、ウルトラマンのキングジョーエレキングのソフビがゴミのように陳列されていた。それをほじくりだして「こんなんあるんやな!」思って喜ぶと店のおばちゃんが「ちょっと!そんなもんに値打ちあるの?やめてよ!」と言ってあたふたしだした。

ワケがわからない人に説明すると、恐らくだけどおばちゃんはネットオークションか何かでキングジョーにプレミア価格がついていて俺が転売ヤーかなにかだと想像して、取られる前に自分たちのものにしたいと売るのを躊躇ったんだと思う。

そして怒った俺は「俺が欲しいモノ見てるだけなんやけどな!値打ちがあるって780円の値打ちがあると思ってるから780円って札つけて並べてるのちゃうんか!」と怒鳴った。そうすると「ヒイィィィー」とおばちゃんはすくんだが、店のお兄ちゃんは冷静で「ミヤザワ君、そんなん好きなん?カタログあるで?」言って、カタログを見せてもらい「ドラクエのゴーレムが欲しい!」というと「ジョーシン行ってきいや。いっぱいあるで」言うので、そこでキングジョーのことはすっかり忘れていた。

ゲームプログラマーの仕事は一旦置いておいて「仕事は人生の一部。趣味を持つことで仕事に張り合いが出来る」というようなどこにでもある言葉を思い出して、アマゾンでウルトラマンの怪獣を探したら300円位でいっぱい並んでいた。

そう、部屋に怪獣いっぱい買って並べてみようかな。そうしたら子供の頃にゼルダが好きなの思い出して、ゲームプログラマーとかじゃなくて家でファミコン遊んでたの受験の時に親に取り上げられてから職業はゲームプログラマーしか無いって思い込んだだけで、まあ今持ってるパソコンでゼルダ的なゲームを作ってもいいし、ゲームボーイアドバンスファミコンミニで大人になってからまたゼルダをクリアした時に心の何かがほぐれたのも思い出したよ。

これしかない!って打ち込むものがなくたって、子供の頃から時を忘れて夢中になっていたものなんていっぱいあって、それらは大人になるとやがて冷める部分もあるけど、やっぱ怪獣見るとワクワクするし、そういうワクワクから今度の人生を見つめ直すのも悪くないかなって。

円谷英二に憧れるのもいいじゃない。エヴァ庵野さんも確か特撮出身で俺は初号機のフィギュアも持ってるんだぜ?

キングジョー、ぽちくりしたいけどサイズの確認が取れないし、どっかおもちゃ屋探して実物見て選んで買おうかな。ウルトラマンの怪獣ぐらいなら全種類まとめ買いしてもお釣りが来るほど俺は持ってるんだぜ?

「同一労働同一賃金」を成り立たせるには同一環境が必要だよね

 大阪のオフィスで働くのと奈良の工場で働くのでは賃金に差があるわけで、大阪で勉強して奈良に帰ってきて奈良で大阪にいたときと同じ給料を変わらずもらっていると労働組合とかの人に「どうして同じ仕事なのにあの人だけ給料が高いんだ?」言われたりしたんですよね。どうしてかは俺に聞かずに給料決めてる所に聞いてほしいんですけど、パソコンでプログラミングしてソフトを組み込んでいるのと、パソコンでネット見てサボっているのが同一労働と思われたら俺もちょっとやってられない。むしろ時間給ならサボっていても長時間座っていたほうが給料は多いわけだから、むしろこっちの時給上げろやって言ったら、今度は「格差が〜」って言われ始める。

ここでもう一度同一賃金同一労働とはどういう思想なのかってことを考え直したい。

まず、ソフトクリームを機械からコーンに盛るだけの簡単なお仕事を例にとってみよう。都会ではそれだけで人が集まって、たくさん売れる。したがって都会のソフトクリーム屋さんは忙しくクネクネとソフトクリームを盛りまくらなきゃならない。だけど田舎でソフトクリーム屋を開業して、お客さんがひとり来たのでひとつソフトクリームをクネクネと盛ったとしよう。それではひとつ分しか儲からない。これは分かるはず。

それを同一労働同一賃金にするためには都会と同じだけの人数を田舎に送り込むか、田舎でクネクネとソフトクリームを乗せまくってから都会に持っていかなくてはならない。工場の場合は明らかに後者で、同じ製品を決められた数作っているのに、地域の違いで給料が違うということはまず不満の原因になるだろう。

それらが全国民にとって生活必需品であるならば国が生産管理をして販売ではなく配給する仕組みを作らなければ同一労働とは見做せないはずなんだ。

残念ながら日本の一部は自由競争経済で成り立っている。しかし、工場労働者にとっては極めて共産主義的な労働賃金の体系で雇用されている。

どちらが正しいとか、理想をどちらに置くとか、そういう問題の前に現実社会がそういう仕組みで回っている以上、右にも左にも言い分はあろうけど政治介入しなくては回らない産業というのは国家を企業とみなした場合は負債のようなものとなる。

というか、書いてて分かったんだけど自由競争経済の中で自然淘汰されつつあるから政治に訴えているのだよな。その口上として同一労働同一賃金を上げているだけで、言い分としては間違っているけど、見捨てるか助けるかって観点で考えないと、合っているか間違っているかっていう観点で論じてはいけないものかもしれないよ。

最初に書いたように同一労働同一賃金を成り立たせるには同一環境が必要なわけで、ソフトクリーム屋さんのお店の雰囲気だけ同じにしてソフトクリームをいっぱい作っても、それがある街に本当にそれだけ買いに来る人がいるのかって外の世界まで併せて考えないと「同じことをしている」とは言えないんじゃないかな。

俺の例で申し訳ないけど、コンピュータの勉強すると基本的に東京大阪しか仕事がない。奈良でやるために色々の試行錯誤をしているけど、我慢して通勤さえすれば大阪で給料がもらえても、奈良で自分の家でサボらずにプログラムに打ち込んでも給料なしの状態が続いている。ちょっと話を変えると、大学も奈良では奈良県立医大奈良教育大学奈良女子大学があって、最近では耳慣れない私大もあるけど、奈良で大学出るってことは医者になるか先生になるか、女子なのか、それしかないのだ。あとはまあ、観光かな。んで、奈良にも色々の工場もあってそれらは工業高校とか高専から行くみたいなんだよね。

奈良の工場にもIT分野の仕事が入ってきていて、それをするために京都大阪から奈良に通っている人もいて、奈良でもIT人材を育成しようという向きはあるけど、ハローワーク職業訓練校で半年勉強させるだけでは入れてもらえなくて不満を言う人もいる。そして自分がハロワに行くと大阪から大量の求人票が来て「贅沢言わずに大阪まで行け」と言われたりする。

せっかくネットがあるんだからソフトの仕事が在宅で出来ても良いのにな、と思うけど、自分が大阪で最初にやった仕事は全国津々浦々の在宅プログラマーに委託して何億円とかけてポシャったプログラムを谷六のオフィスで紡ぎ上げて問題点を直して動くようにするというものだった。雇ってもらえた後も毎日本を読んで勉強してた。あー、しんどかったよ。

そうだよな。10年以上やっても在宅で全権委任されるほど信用があるわけでもない。

奈良に帰ってきてから俺が身に着けている能力は専門用語を知らない人に噛み砕いて説明する能力なんだけど、多分これは死にスキルになるわ。教えないでシステム作ってプログラムは出来ないけどパソコンやスマホでこのソフト使えば自分で出来るって思っている人にソフトを売りつけるのが商売だからね。

テーマからだいぶ逸れたけど、同一労働同一賃金の「同一」ってどこが同一なのよと。

俺自身も家のパソコンでプログラムは組むけど、たとえば星野源でも風呂場でアカペラで歌を歌っても給料はもらえないけどステージでやると儲かるみたいだから、周りの人とチームワークを組んで何かやるって体制を自宅に敷かないと厳しいんだろうな。


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