頁作氏は何故はてなダイアリーの更新をやめたのか

俺はゲーム好きということで中学高校とオタ系コミュニティに属しながら軽音部とも交流を持ちバレーボール部の幽霊部員をかけもちながら、オタ系コミュからはよく仲間はずれを喰らっていた。

何故かと言うとゲーム機は持っているがオタ系コミュはマイビデオマイテレビでアニメを観る文化があって、アニメの話に付いていけないことをストIIの対戦で負けた奴らが面白がってゲーセンでは俺が勝つけどバスや電車のトークで仲間外れを喰らう日々だった。

そんな彼らとは卒業後も少しは情報交換があったが20歳を過ぎたあたりから接することはなく、俺はゲーマーコミュに属していく。ゲーマーコミュではゲームの話しかしないので問題なかったが、カプエス2の公式全国大会が終わった後はゲーム中心の付き合いではなく飯食って談義とかが増えてそこでやっぱりアニメの話が出て分からなかった。

同時に俺はインターネッターなので文字になっていて読める情報はくまなく仕入れた。アニオタの頁作氏がゲームに興味を持っていて日記をつけている。俺はゲームの話でそれを見つけたわけだが、アニメについても語られていてその話だけは読んでいた。

毎日頁作氏の日記を読んでいるとやがて同化がはじまる。頁作氏に興味があるので同じものを買ってみるようになった。もしかしたら俺のブログを読んで同じものを買っている人もどこかにいるかもしれないけど。俺は頁作氏と同じものを買い、違う感想を日記に書く。その情報は新しくて面白かった。インスタとかも出た瞬間に頁作氏から教えてもらえた。それでもアニメの話だけは分からなかった。

頁作氏が日記を書かなくなってから俺はアニメを見るようになった。ストレージ系サービスでついて行けなかったのを覚えている古い作品から入っていったら、どうやらキャラのやり取りのモノマネなど、すごく幼稚な話しかしていないのに固有名詞や映像が分からないから分からなかっただけであったことが分かった。

それが分かると、もっと難しい話をする相手が欲しくなり、オタク系コミュから学歴系コミュに自分の学歴をバカにされながらも果敢に絡むようになった。その話はまた別の機会に。

それよりも、新しいアニメというのは実写ドラマなどより内容的にも映像的にも少し先を行っていることが分かった。面白いアニメがあると似たものが出回っているだけなので数本押さえればそんなに貪欲に全部見なくても満足できる。

この「アニメの話にはついていけない」という10代からの悩みと実際に見た後の彼らの幼稚さに対する落胆とどこか逆恨み的な感情は今までこのブログには書いてこなかったことだ。それを通り過ぎて俺はどんどん孤独になって自己肯定感が失われていった。

アニメがそうであったように、俺の知らないもっと新しくて面白いことをどこかでだれかに出し抜かれているのではないかというような恐怖が俺をネットでの情報収集に駆り立てさせる。

最近じゃ、そんなものは無いと考えて安心するようになってきた。

 

映画「カーズ」と「思い出のマーニー」を見た

金曜ロードショーと金曜プレミアム、かぶせてきやがったな!

カーズはもっと子供向けかと思っていたけど大人の哀愁を感じる映画だった。

マーニーはな・・・。もうええんじゃ。

マクロスデルタの第3話を先に見ていて、見ている時はテンション上がったけど、話が終わって4話の予告を見て再生が止まった時に「そんなに都合のいい話は無いよな」という喪失感を感じていたんだけど、カーズはな。見ている途中で何度か「退屈だな」と思いながらも見終わった後に戻ってきた現実の見え方が変わる映画特有のアレだ。

都会に行くととかく人との交流は頻繁に生まれるけど、満員電車や横断歩道の人混みの中でも孤独を感じるように、多いがゆえの「その他大勢感」があるよな。その中で主人公格になってみたところで、他の人間はどこか役としてやっている感もある。

そのへん、辺鄙なところで本当の信頼関係が生まれるってのもな。俺の人生はまだ話の途中ではあるけどさ、主役になりきって映画を見ているってのは子供の頃から変わらない。あるんだろうか、俺に続きのストーリが。どうなんだろうな。金曜ロードショーでなくて映画館でやっていた時期にこの映画を見ていたら在り方が少しは変わったかもなと思った。

やっぱね、映画はそのうちテレビでやるだろとかDVDやブルーレイになるだろとか思わずにタイムリーに映画館でみるのが良いもんだ。情報は時間とともに価値が変化する。

ただ、カーズの場合は時間が流れて風化し忘れられた情報の価値を思い出させる話なので、そのときに見ていたら分からなかったかもだ。

 

なんか自分の趣味をちょっと思い出したよ

最近打ち込めるものがない。

子供の頃からファミコンが好きでゲームプログラマーに憧れたけど、当時ゲームは「してはいけないもの」だったから小学校の自由研究でゼルダの伝説の地図を作ると書き直しをさせられた。卒業文集でも「ゲームプログラマーになりたい」はもちろん没だった。

そんなに成りたかったゲームプログラマーでもハードウェアの進化とともに今まさに作られんとしているものと子供の頃に作りたかったものは随分違うので合わない。

そんなことを悶々と考えながら、ふとあることを思い出した。

マジック・ザ・ギャザリングの大会で奈良のベンテンドウというおもちゃ屋に行った時に確か780円だった記憶があるけど、ウルトラマンのキングジョーエレキングのソフビがゴミのように陳列されていた。それをほじくりだして「こんなんあるんやな!」思って喜ぶと店のおばちゃんが「ちょっと!そんなもんに値打ちあるの?やめてよ!」と言ってあたふたしだした。

ワケがわからない人に説明すると、恐らくだけどおばちゃんはネットオークションか何かでキングジョーにプレミア価格がついていて俺が転売ヤーかなにかだと想像して、取られる前に自分たちのものにしたいと売るのを躊躇ったんだと思う。

そして怒った俺は「俺が欲しいモノ見てるだけなんやけどな!値打ちがあるって780円の値打ちがあると思ってるから780円って札つけて並べてるのちゃうんか!」と怒鳴った。そうすると「ヒイィィィー」とおばちゃんはすくんだが、店のお兄ちゃんは冷静で「ミヤザワ君、そんなん好きなん?カタログあるで?」言って、カタログを見せてもらい「ドラクエのゴーレムが欲しい!」というと「ジョーシン行ってきいや。いっぱいあるで」言うので、そこでキングジョーのことはすっかり忘れていた。

ゲームプログラマーの仕事は一旦置いておいて「仕事は人生の一部。趣味を持つことで仕事に張り合いが出来る」というようなどこにでもある言葉を思い出して、アマゾンでウルトラマンの怪獣を探したら300円位でいっぱい並んでいた。

そう、部屋に怪獣いっぱい買って並べてみようかな。そうしたら子供の頃にゼルダが好きなの思い出して、ゲームプログラマーとかじゃなくて家でファミコン遊んでたの受験の時に親に取り上げられてから職業はゲームプログラマーしか無いって思い込んだだけで、まあ今持ってるパソコンでゼルダ的なゲームを作ってもいいし、ゲームボーイアドバンスファミコンミニで大人になってからまたゼルダをクリアした時に心の何かがほぐれたのも思い出したよ。

これしかない!って打ち込むものがなくたって、子供の頃から時を忘れて夢中になっていたものなんていっぱいあって、それらは大人になるとやがて冷める部分もあるけど、やっぱ怪獣見るとワクワクするし、そういうワクワクから今度の人生を見つめ直すのも悪くないかなって。

円谷英二に憧れるのもいいじゃない。エヴァ庵野さんも確か特撮出身で俺は初号機のフィギュアも持ってるんだぜ?

キングジョー、ぽちくりしたいけどサイズの確認が取れないし、どっかおもちゃ屋探して実物見て選んで買おうかな。ウルトラマンの怪獣ぐらいなら全種類まとめ買いしてもお釣りが来るほど俺は持ってるんだぜ?


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