帝国主義から民主主義にすっかり塗り替えられたわけでもない

小学校で日本国憲法の自由平等を習ったのに、大人になってみると社会には年功序列というか目上や目下という封建社会のようなヒエラルキーが残っている。

そこで「おかしくないか?」と思っていたんだけど、太平洋戦争後のアメリカ占領下の日本で民主化が進められるものの、旧財閥は必死に抵抗して国民や米国に対して表面的には民主化した部分と帝国主義から旧態依然としている部分が混ざりあったまま現代に続くわけで、建前としての民主化を掲げて自由平等を謳うのが左で帝国主義からの旧態を堅持しようとするのが右ってのが今日の俺の勉強ノート。

右か左かでぼかして語るのは東京大学京都大学という旧帝国大学を卒業した人たちだけで旧財閥の大銀行に就職して大日本帝国を再建するのだ!みたいに分かりやすくしちゃうと国民に対しても国際問題にしても色々とダメなので、建前としての民主主義のルールを守りながら帝国の幹部として使えそうな人を選挙で勝たしたいんだけど、建前としての民主主義を根っから信じている無能の国民が擁立した改革派候補が選挙で通っちゃったら色々と面倒よね。

まあ、そんなだから義務教育としての小中学校までは近代史として財閥解体民主化がありましたよと教えられているけど、高校生くらいからよく勉強している人は真理に気付いているかもしれないし、気付いても名言はしないという性質かもしれないな。

憲法で示される人権や諸々の自由は分かるんだけど、生きていくためにすべきことは自己責任となると途端に難しいわけで、時として会社員になるときはその封建制を甘んじて受け入れるしか無いという。会社が嫌ならやめればいい。だけど自由になって野垂れ死ぬくらいなら通勤して人間関係に気を使う毎日を送るほうがマシなのか。自由を獲得するためには自由経済社会の中で強者にならねばならぬ。そういう不自由は感じる。

むむむむむ。

「カーメン」探してます

その昔にゲーム大会でアメリカ遠征して雑誌に載ったという記憶はあるのですが、証拠となるものがあまり手元に残っていません。デジカメを持ち歩く習慣もなく、当時のケータイは紛失したのか、手元にある一番古いケータイの写メの記録は2005年からとなっています。俺自身、25歳ころの記憶に飛んでいる部分があって、精神病院に入院した記録や会社の厚生年金の記録に抜けがあることなどから、当時「何かあった」のは確かなのですが、思い出せません。

それで、うっすら記憶にあった「金の表紙のアルカディア」を頼りに今から取り寄せ可能なバックナンバーをネットで注文して読んでみると、2002年4月号(写真左)には記録はなく、2003年3月号(写真右)にはLONG RUN GAME'S BOOSTERという古いゲームの特集記事にストIII3rdが取り上げられています。

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この記事を書いたのは井上さんというライターで、カプエス2の3ON3大会で準優勝の中に「カーメン」という名前があり、右下の写真には覗き込むように小さく映っているのが恐らく自分であろうという見解で、家族にも見てもらいました。

当時は家族不仲で一家離散状態、母は蒸発、姉はハワイで挙式して家を出て、俺は大阪で独り暮らし、祖父母は他界、親父と弟が家にいるという感じで、アメリカ遠征の話も最近ようやく「あったのだ」ということが認識され始めています。(何せ親父のもとに知り合いから電話がかかってきて精神病院行きという状態だったので、何を言ってもたわごとと思われていたようです)

退院してから奈良のゲームセンターでギルティギアの大会結果で自分が出ていないにも関わらず「カーメン」という人が優勝したという記録があり、自分とは別の人が「カーメンさん」と周りから呼ばれていました。しかし、俺は過去に「カーメン」というハンドルネームで活動してオフ会などではカーメンと呼ばれていました。残っている証拠としてはこのブログの前身である「つたんまにっき(つた☆まに)」のid:karmen(カーメン)であることがひとつですが、既にネット上にはアメーバなどにもkarmenがいるようで、フェイスブックにもKyosuke Miyazawaは何人もいます。俺がカーメンであったことを過去に遡って示せるものは今のところそれくらいです。

不確かな記憶ではあるのですが、もっとハッキリ映ってストIII3rdの日米5ON5が行われて中堅にレミーとして出場して、写真の下に「カーメン」の名前が入っている号があったはずで、その号も恐らくこの白黒の古いゲームの特集だったはずです。表紙の色も確か金が使われていたという記憶なのですが、2002年2月号だと古すぎて違うものと思われます。1978年の生まれなので2003年で25歳。だいたいそのへんかなと。

情報を持っているとか、見つけたよという方はコメントか何かで教えてください。

オーバーヘッドキックはヘディングで良いんじゃね?

高校サッカーをずっと見てたんですが。オフサイドがあればオフサイドトラップが有り、トラップに引っかからなくなると相手陣地に攻め込んでいるのに相手にボールを蹴って渡すしか無くなる場面なのかな、せめてダメもとでもシュートした結果がディフェンスに捕らえられたのか、細かいことは分からない部分もあるのですが、多分どのチームも地域の代表であって弱いチームを相手にしたら得点できると思うんですが、サッカーの強いチームと強いチームがぶつかったら得点が1対1から5対5になるわけでなく、やっぱり1対1になるスポーツなんだなと。バスケとは違いますね。

格闘ゲームもストIII3rdは特にそういうとこあるよなと。両者が上手くなると攻め方守り方が意地悪くなるので素人目になにやってんのかわからない駆け引きになる。自分はプレイヤー側に立っているから見たら分かるを自負していたんですけど、3年くらい前のカプエス2の大会動画を見て「ああ、これ既に3年前に終わった駆け引きなんやな」と思うシーンがありました。

例えて言うならサッカーのオーバーヘッドキック的なことを見せたら盛り上がるかもと思っていて、宙返りして結果蹴れずに失敗してコケて怪我して、周りを見たらみんなヘディングシュートの練習をしているという。合理化が進んだゆえに消えたテクニックてのがあるんですよ。まあ、古典的って言うか古い手って言うか。

今日のサッカーの試合は5得点の学校があって、とても満足しました。強えよ!格闘ゲームでも店によって集まるプレイヤーのレベルとかあって、奈良なら1店舗しかなくても東京だと同じゲームでも強い店でやると勝てないプレイヤーが自信を取り戻すために弱い店に行って連勝して帰ってくるみたいな話を聞いたとき東京は恵まれてんなと思ったものです。

しかし東京に行ってみると動きを一度見せると上手いプレイヤーは使える動きだと思うと秒速で真似てきて、日本ではD44はAさくらベガブラを「ときど」に取られて目立たなかったけど、アメリカ遠征滞在で色々の都市をまわって記録を作って帰ってきましたよね。ピース綾部がどうなるのかは知りませんが、俺も奈良であっためてアメリカで初めて見せたものは評価されたんですけど、東京で見せたことをある動きなら海外のプレイヤーでも「リョーチン?」「ケースケ?」と尋ねてきて「キョースケ・ミヤザワ!」とか「カーメン!」とか言って頑張って売名してきました。

日本のプレイヤーは情報交換が盛んで格闘ゲームはただ上手いと下手が器用不器用とか反射神経で決まるのではなく、同じゲームの繰り返しなので展開によって同じ場面になった時どう動くかが幾重にも練られていて、情報が新しい方が勝つってこともありますよね。ネットがあるから大会などで動画になったあとは田舎で見て研究している人と都会の人と変わらない部分もあるけど、やっぱ野試合をたくさん見れる東京に利がある部分と、のびのびやれる田舎のほうがわけなく自信を持っていて、それはもしかしたら東京では何周か回って無くなった選択肢なのかもだけど、東京育ちが結果としての新しい動きしか知らないゆえに面食らって一発入れるってこともあるのかなと。

まあ、東京での一発に二度目は滅多に無いのも特徴なんですけどね。高校サッカーもずっと見てるとゴール前で分けなく跳んでコケている選手の動きが俺には「もしかしてパスこいオーバーヘッド?」に見えて一瞬楽しい気持ちになりましたよ。学校とか選手の名前とか残念ながら覚えてないけど、俺もちゃんと見てたからね。


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