中学くらいで藁半紙にRPGのルール書いてたよな、そういえば

サッカー選手とかが小学校の作文出してきて「子供の頃から一念専心でした」みたいな美談と比べると俺は子供の頃から先生に駄目と言われて作文にゲームクリエイターに成りたいとは書けなかった弱虫だったけど、それなりに普通科高校と一般企業を経てからゲームプログラマーに成ったわけだから一念専心が全てを満たす要件かと言うとそうでもないとは思ってる。ただ、その意思表示をするということが成功への手続きであるとは思う。就職してみてから会社の社長にゲームプログラマーに成りたかったことを打ち明けて名刺を作ってもらって色々な人と話して、軌道修正するにはどうしたら良いかと試行錯誤を重ねる内に子供の頃に到達したかったレベルというかゲームメーカー勤務までは行った。けど、良くも悪くもそこまで。野球とかサッカーとか昔からルールとかあんま変わってないけど、ゲームって言ってもファミコンのシューティングとPSVRじゃ全然違うわけで、子供の頃に遊んだ作品をゴールに見据えて成長した人間とまだないものを想像してエンドポイントに設定した久夛良木さんみたいな存在とで同じ土俵で戦えるはずもなく、俺は今になって次の目標設定をしないと進みようが無くなっているのかもしれないなと。
そんで、最近の夢をあからさまにすると王政復古とでも言うか、俺が子供の頃遊んだゲームみたいなゲームの人気復権なんだろうな。この夢は今の子供にとっては迷惑な話だけど、そもそも任天堂ファミリーコンピュータって奴が1世代古いパソコン部品で作った大衆向けの廉価パソコンなわけだからな。自分たちだけが良いものを持って安物を大衆に売りつけようなんて作戦が情報交換が容易になった今の時代で勝算があるのかと言われると疑問ではある。しかしゲームと言っても映像的な進化を取り除くとRPGでもFPSでもルールの部分は昔とそう変わらないわけで、棋士になりたいというお膳立てされた夢と将棋みたいな新しいボードゲームのルールを作りたいというようなツクダオリジナルで働きたい的な夢とは違うわけで。
ちょうど昨日のヒーローアカデミアで緑谷のお母ちゃんがオールマイトに息子にこれ以上ズタボロになって欲しくないから雄英学園から転校させたいの巻な。やってたな。ヒーローは憧れだから家でテレビ見てヒーローごっこしてるほうが息子は幸せじゃないか的な。
今よりも不幸になるかもだけど、それを乗り越えた先に何か得られるものがあるのではないかという期待が人の行動意欲になるというか、それ多分成し遂げてもなんにも無いよって先回りして想像して止めるのも知恵のひとつ。そんな知恵ならバカなったほうがカッコイイ、みたいな外圧で賢者は愚者を働かせる。多分だけど必要なのって心の持ち方の変化で、それを体験を通して学ぶのと想像して予知するかの違いは体験を通した場合は目撃者となった他者の接し方の変化を伴うから、求めているのは他者に対してなんだよな。
つまり下働きするのと「たけしの挑戦状」とか「さんまの名探偵」みたいな芸人ブランドのゲームを作ってもらうのと、どっちが良いって言うとゲームを遊ぶものでなく有名になるための過程として利用することの違いで、有名になりたいという目的にゲームを利用するのって確かにその道でその世界で有名になる人はいるけど、手段として見ている時点でお門違いも良いところと言うか。
ゲーム作りたいなら、ゲームくらいは作れる。作れてる。けど、何だろうこの違和感。安住の地にいながらゴールはここじゃない感。虎穴に入らずんば虎子を得ず的なリスクテイクが今俺に求められているだろうか。多分、求められてない。求められたいのだろうか。

久しぶりのFF7ですよ

ジェノバの港で放ってあったデータから再開して1時間進めて運搬船の中でセーブ。 f:id:karmen:20180624025145j:plain
近頃では世界の狭い俺ではあるが交友範囲が広かった時期もあり、ある界隈では当たり前のことが別の界隈では到底信じられない話になるというような体験から話題を合わせるための接点としてメジャーなものは押さえておこうと勉強のためにやりだした。分かり会えない人がいると思うと寂しいが、対人関係で家族や親友、それ以外という割り切り方をして、ゲームが暗い趣味であった時代にゲームするもの皆仲間と思っていたら裏切られたりもして、かといって家族以外は皆他人かというとそうでもなく、どのくらいまで進めりゃ話題が合い始めるものかと。
多忙でもゲームソフト1本だけ買って頑張る人もいれば暇人であれもこれも解いたと自慢する人もいればゲーム雑誌やネットの情報で知ったかだけの人もいて、安易にこちらから情報を出し始めると知ったかがメモメモして餌をやるようなもの。ゲーセンのゲームとゲーセン仲間はコミュ障でも何でも同じ場で同じゲームを見比べるやり比べる一緒に遊ぶ出来たから話は早かったけど、家庭用ゲームの話で知ったかとやりこみさんを見極めるのに問答だけではな。反対に俺が忘れっぽいせいで相手の問答に答えられず知ったか疑惑をかけられた過去も。
かといってブログに証拠写真とか貼って、知ったかさんを追い詰めるのもそれはそれでやり過ぎている感はある。ゲームが下手でも3D世界の探検を存分に楽しめるという意味で間口の広いゲームで400万本売れたのも納得ではあるがその400万本がレコード時代のヒット曲のような時代の宝物になるのでなく100円とか50円で中古投げ売りされて産業廃棄物と化したところも併せて考えていかないといけない気はするよね。なんかプレイしていて陰鬱になるゲームなんだよな。シナリオとしてドキドキは必要だけどそこから開放されて安心できるゾーンとの波がどんどんダウナー方向に振られていくというか。簡単に言うと「しんどくなるゲーム」俺だけ?
ただしボリューム的には他のゲームが短編集くらいの厚さでFF7は長編連載小説全巻セットのボリュームがあるわけで、ある友人の言葉では「ミヤザワさんって美味しかったら小さい皿にちょびっと乗ったような料理でも美味いって喜ぶじゃないですか。僕たちはからあげの大盛りみたいなもので安くて腹一杯になるようなものを教えてほしいんですよ」って。
だけど根本的に安い娯楽が欲しいならテレビで良くないか?とも。ゲーム機で遊ぶのは面白かったらすぐに飽きてもそれはそれで良い体験を買えたとは思えないか。そのへんはセガのタントアールから昨今の任天堂パーティーゲームがかっさらった市場なんだよな。
そこらへん、部屋にテレビはないけどパソコンはあるって人向けに出来上がったジャンルとして長時間遊ばせるための冗長化てのは歴史的に避けられなかった時代もあったわけで。今更になってから新しいゲームとやり比べて物足りないって論説は意味を持たない。
なんていうか本当に罰ゲームみたいで辛い。精神を蝕まれる。病む。寝る。

物置からフールのぬいぐるみが出てきたよ!

タロットカードを題材にキャラクター化したマジカルドロップってゲームの「フール」のぬいぐるみ。
f:id:karmen:20180622162432j:plain
タロットカードの大アルカナの「フール」は愚者と訳されて浜辺で危険な状態にあるのに呑気で気付いていない王子の絵。
子供の頃から風邪を引きやすく花粉症でもあった俺は鼻垂れで遊び仲間からよく「アホやなぁ」と言われた。まあ、学校での成績は良かったし関西ではアホは褒め言葉やと言うもので、アホだと言われて怒るほうがアホだとその頃は信じていたが、インターネットで関西と関東の情報が行き来するようになって、関東の人がオフ会とかで関西に来て「アホ」と言うと本当にアホなのかなという話になってアホと言われることを嫌うようになった。それから「アホは褒め言葉やという言葉を真に受けてアホと言われて喜んでいるのが本当のアホだ」という自説を展開するようになった。
まあ、厳密には「アホと言われても学校の成績は良い」という自信の後ろ盾がなくなったのも大きい。名のある大学ではなくコンピュータの専門学校に進み、高校まではエリートコースだったのにアホがいっぱいいる世界とはこういうものかと当時は思った。しかし、勉強以外の能力に気付き出したのもこのあたり。ペーパーテストの資格試験には通っても、いざゲームプログラムの実技となると先生のレベルも低く「ゲームってこんなものちゃうの?」とビジュアルベーシックで絵を動かすだけで授業が終わってしまい、先輩の作品で一番良いものでも市販のゲームには到底敵わない。しかもそういう人はほとんど独学で就職までのモラトリアムとして専門学校で制作への2年を確保する。
就職してから学歴差別を味わった。スーツを来て大阪のビル街を歩いている様はどう見ても大学を出て内定をもらったエリートのようだが、付き合いだした人に専門卒であることを正直に打ち明けると大学を出て就職活動をする以外に就職する手立てがあるなんて信じられないとか、何か裏のある仕事をしているのではないかとか、俺が何か秘密を隠していて自分もそれを知れば居酒屋のバイトからサラリーマンに成り上がれるのではないかとか、自分は大学を出て就職が叶わなかったのに専門卒がのうのうとスーツで威張っているとか、まあ人によって様々だが、企業が求人で大卒以上を基本としている中で例外的に専門卒で働いている俺は雇用者側から差別を受けた感じはしないのだが、学歴社会を信じていて自分たちが幸福に成れないのは学歴がないからだと責任放棄している人から受ける学歴差別の実態はいよいよ深刻で、その頃には俺のことを「アホ」と呼ぶ人などいなかった。それでも賢いとか偉いと言われても自分の学歴にコンプレックスを抱えた状態では素直には心に届かず、何か空々しかった。
それからも10年以上色々あったが、自分が子供部屋として使っていた今では物置になっている部屋からフールのぬいぐるみを見つけてきて、あのころはこのぬいぐるみを愛おしく思っていたなと思いだそうとするが、どこかそれは決別したい過去のようにも思える。
俺の人生には色々の紆余曲折が有り、それによって得た経験に価値を感じられず、最初から高校までを進学ではなくパソコンの勉強に当てて今だから分かる最短距離を過去の自分に与えてやりたい気持ちになった。
政治家が選挙制になっている現在にはプロレスラー出身の参議院議員などもいて学歴のみで役職が順繰りに決まる封建社会のような状態では無いことが明白だが、そういう分かりやすい構造ではなく各々の能力を他人がどう評価して関係を結び、モノや現金の交換を行う時に相場価格以外にどのような価値があるかを見極めて特をする能力というのは勉強以上に難しく、少なくとも算数くらいは出来ないと上手く渡り歩くのは難しいのではないかと思える。学歴社会というのは概念自体が単純で理解しやすいから、現実を見ないで分かりやすいモデルに自分を当てはめることで安易に理解した気分になっていることが問題だとは思うんだけど、ネコ抱いて鼻垂れてた過去を持つやつがそんな事を今になって言い始めてもなぁ、聞くやついるのか?という気分ではある。


🄫1999-2023 id:karmen