今日のカプエス2(メモすることすら無い)

その昔に昇竜拳当て身投げしている人を見た隣の友人(将棋有段者)が「当て身って決めたら上手いと思うけど流石に昇竜拳だけはガードしてコンボ入れたほうがダメージ勝ってるから当て身は無いわ」とつぶやいた。この場合の最後の「無い」は選択肢として選ぶことに旨味がないというような意味である。

しかし今日、コンピュータ戦でパーフェクトKOをするためにヤマザキのギロチンを当て身投げして結果パーフェクトを維持して昇竜に当て身もあるときにはあると思った。

今日も集中力は冴えなくコンピュータ戦を2回やった。チームは同じく春麗・ガイル・ギースでギースがレシオ2で順番は相手に応じて。1度目ラスボス豪鬼クリア、2度目ラスボス神豪鬼クリア。

この1度目のラスボスP豪鬼にナイスブロッキングでガイルと春麗を倒され、ギースで勝つには勝ったが、まだ俺の知らないカプエス2は有ると思った。何故なら点数を稼いで神豪鬼やゴッドルガールばかり相手にしているとプレイヤーでも取れる豪鬼とルガールに対する対戦経験は殆ど無いわけで、下手から上手くなる過程で豪鬼やルガールと何度も戦っている人と比べて、ゲーム買ったスグから神豪鬼やゴッドルガールのことばかりに囚われて視野狭窄に陥っていからだ。

あと、神豪鬼はガイル・春麗のレシオ1だけで倒してしまったが、春麗のコンボ鳳翼扇レベル2逆キャンレベル1という妥協コンボでなく逆キャン百裂発勁鳳翼というコンボに挑み、結果目押しが若干遅れてコンボになってないのに当たって勝った。

このコンボの百裂キックは鳳翼連打部フルヒットを狙ってハイキックキャンセル百裂空中ヒットになると目も当てられないので、連打部分が1ヒット減るほうがマシと捉えて連打を気持ち早めにするほうが安定しそうだ。あとは発勁鳳翼のコマンドを発勁後レバガチャから波動発勁、波動鳳翼に変えているので目押しタイミングの慣れ。

考えてみるとヴァンパイアハンターの目押しとかコマンドが無くボタン押すだけなので、カプエス2のほうが難しい部分が有るのにゲーム展開自体は地味になる。

リラックスした状態でラスボスは倒せたが、やはり1ゲーム目をノーマルクリアにしてしまっているのでストライクではなくピンを残してスペアみたいな感じ。ボウリングだったら300点までしか出ないわけで、300点出したらゲーム終了だと思っていたがカプエス2も結局は以前に出した3400GPをずっと越せないまま2000GPくらいでずっと遊んでいるのだよな。

ユニオンシステムの課長さんはビリヤードが好きで何度か一緒させてもらい、あの人には罠にはめられたことも有るがその後に玉突きからゴルフに趣味が変わって部長に出世した時に俺が嫌いだった先の部長がどうなったか聞けずじまいだったな。取締役とかになっててこのブログが届いたら最悪だが、好き嫌いと自分にとっての損益はまた違う。この人に付いていくと有益だと思って無理に付き合うから好き嫌いが出るのであって、無関心だった相手に実は遠巻きに策にハメられているみたいのは主観からは気づきにくい。

シャープのボウリング会は正社員比率が減って下請け同士の交流会を引退前のおじいちゃんが嬉しそうに仕切っているという感じでおみやげがになる景品が誰に当たるか程度の損益しか無いから居心地は良かった。

そういう意味ではチャンピオンの座を奪い合う格闘ゲームの大会は血みどろ。そんなものに関わっているかと思うだけでしんどいが、あの時の緊張感や高揚感を超える人生体験など他にまだないから、多分それを思い出すため執着しているのかもな。

まあゲーセンに行くと日本一でも狙えるだろうってレベルの人でも他の人と変わらず50円玉やら100円玉を台に入れて閉店まで楽しくやりあって一緒にメシというあのループは大企業で椅子の取り合い策の嵌め合いをするのと工場でプログラムのステップ数をどうやってひとつでも短縮するか競うかという、ラクの維持のための狡猾な戦いか無駄な苦労に小さな喜びを感じながら労苦を喜べる精神性を身につけられるかみたいな生き方の違いは有るよな。

ゲーセンだとそこに仕事みたいな責任はなく黒画面に文字だけのプログラムと違って絵も音楽も付いた楽しいゲームで極める喜びを追求しているわけだから幸福感においてゲーマーのほうが高く、生活がかかったパチプロがしんどいのは仕事と同じになっちまうからだよな。

今朝もヤンジャンを買ってきたが

読む元気がなく積んでしまった。来週までには読む。

久しぶりに取ってみた先月のヤンジャンは楽しかったが、だんだんと慣れて飽きてしまった。そしてとんでもないことではあるが「毎週のマンガにうんざりする」とググる吉田戦車の記事が検索にかかった。自分の連載が載っている雑誌を積んでおいて別の少年誌を買って読んでいるのだとか。

ショービジネスと化した格闘ゲームシーンでゲーセン対戦のようなシーンを想定して練習していること自体が古いとか偏狭であるという同じような意見を無関係の2人から指摘され受け入れるか突っぱねるか考えどころ。

もうちょっと年上筋から「ヤンジャンとか読んでるなら手塚治虫を読んでみたら」と勧められることに対して古いと突っぱねるのと感覚としてどう違うだろう。

ひとつのことを掘り下げていると、というか、俺の場合同時並行的にいくつかのことを取り組むジェネラリストを目指しながら格闘ゲームにだけは異常な執着がある。だからそこだけが極めてアンバランスに映るのだろうが、それは入れ込み過ぎて格闘ゲームビンボーにならないように新しい格闘ゲームは購入しないようにしてバランスを取っているつもりというのが俺の主張。

ファイターズヒストリーストIIのパクリだと怒る人は居てもルパンレンジャーがゴレンジャーのパクリだと怒る人は居ないので、小さなスパンで見ていると模倣や贋作に見えても全てありふれたもののひとつであると捉え始めると・・・。

病気。

カプエス2に挑み続けるのは俺の中に残る童心なのかもな。俺TUEEE!になる前に頑張るという儀式があるべきとでもいうか。叔父さんがテレビを見ながら「ゲームなんてしなくてもテレビ見てたらボタンも何も押さなくていいぞ」に内心「そんな大人になっちまったらおしまいだ」と思ったボクが俺を操作してテレビを見ている俺にプレステの電源を入れさせるんだ。

それがボランティアとか農作業でなくゲームでもブログでも「何かしている」と思うのが病理か。

夢ん中。