競技で勝つ子供は居るが相続以外で大金を持つ子供は滅多にいない

タイトルだけで察してくれる人は察してくれるし分かりやすく書くのも難しいが。

俺は地方住みなので地方分権には前向きだったが、実は違うかもと思い始めている。

人間の頭というのは若い頃が思考力とか記憶力のピークであるという説はある。

実際、スポーツなど体格差があるものは20歳前後がピークだがゲームやクイズで若い人が脚光を浴びるのは珍しくない。そこがピークと捉えることも出来るし、若い人の人気を取るために若い人を勝たせて業界規模を維持したいという老獪さがあるかも知れない。

歳を食って物事に集中するより、その物事を巻き込む社会での地位さえ上がれば勝負事それ自体は負けてもよいというような計算が働くので、勝負事だけで公正に賢さのピークなんてものは計れないようにも思える。

俺は20代の頃に猛烈に忙しかった。そして頑張ればお金がもらえるからもっと頑張ろう、もっと金持ちになりたい、もっと自分を高めたい。ドラクエで言うと自分はレベル20くらいで40レベルくらいになったら魔王を倒して世界を平和に出来ると考えた。

だが、病気で休職した。そこで弟の暮らしを見た。俺が家を出て、母が家を出て、姉が嫁に行き、親父と弟2人になった家で弟はたいそう甘やかされ幸福かどうかはさておき、広い家をほとんど全部自分のものにして家中を自分の欲しいものとゴミで散らかし、親父から好きなだけカネをぶんどっていた。ヲタアイテムの相場からすると信じられないほどのグッズ類を部屋に貯めていた。

親父は働いている体裁は取っているが、実質的に爺さんからの相続で得た家賃収入が主な財源で、俺が家を出ている間に親戚が爺さん婆さんからの相続で土地を分けてもらって裕福に暮らしていることが分かってきた。俺はと言うと男性家系の長男だが、子供の頃は甘やかされて、勉強して将来は外で働くように言われて家には金が無いと思っていた。両親が俺に小遣いとして現金をくれたことはなく、お爺さんから小遣いをもらい、子供の頃に読んでいた本に古代エジプトの少年王ツタンカーメンは子供であることをマスクで隠されて政治の実権を臣下に奪われ若くして病死したという話があり、俺はまるでそのような立場だと思っていたことがある。

ある日に俺は親が俺に受験勉強や就職を求めたのは爺さんからの相続でラクをして長男である俺を家から追い出すためだったのではないかと考え始めた。親父の姉である叔母さんの家系は叔母さんが家を相続して実質婿養子に近い叔父がサラリーマンをしているので普通のサラリーマン世帯からすると住宅ローンに割り振られる分を全部他のことに使えるので、良い暮らしに見えた。しかし従兄弟は「そっちのほうが金持ちなのに」と言っていたのを思い出す。母親は俺にスーパーの弁当とバーゲンのダサいシャツしか着せずに百貨店でブランド物ばかり身にまとっていたのだ。

親父の話では母親は家のカネを全部持って家を出たらしいが、母親の話ではお金なんて一銭も持って出ていない、着の身着のまま家を出たのだという。しかし良く話を探っていくと、母親は家に居た時に家系の一部を株式投資に充て、株主になって現金は家から持って出たわけではないからお金は持っていないという建前らしい。つまり親父は家計費として母親に渡していたカネを全部株というヘソクリに当てられて頼りにしていた妻から文無しにされてしまっていたのだ。

そこで、俺は病気をして親元に帰ることを医師から促され父に付くた母に付くか考えた。子供の頃は厳しいパパよりママのほうが好きだったが、株式をマンションと現金に変えて浪費癖のある母親よりケチだが土地のある父親のほうが何となく10年20年先を考えると頼りになる感じがした。だいたい、カネを持って逃げた人間に付くなんて想像すると恐ろしい。

俺が帰ってきてから、弟が進学して就職して東京に出た。親父と弟が散らかした家を自分の使う部屋だけ片付けて、カップラーメンやスーパーの弁当を食べてお金のないときは病気を隠してプログラマーの仕事に出た。そこで厚生年金が付いたので、病気にになると保険が支払われることを後から知って申告した。

今はその保険と親父の年金と家賃で働かないでも暮らせるが、ブログのアフィリエイトや寄付歓迎のフリーウェアなど、家で出来る仕事で何か少しでも儲からないかと考えている。考えているだけでなく、実際こうしてブログを書いたりプログラムを書いたりしている。

まだ、暮らしぶりは貧乏の範囲だと思う。スーパーやユニクロの服を着ているし、メシは売られている弁当やカップラーメンが多い。

20代の頃になりたかったバリバリサラリーマン高給取りプログラマーとは全く違う形だが、食うには困らず自由時間はいっぱいあって、こんなにひどく狡っ辛くなってしまうとゲームで飯を食うとか夢見ているのは幼稚園の発想に思えてしまう。

しかし、思えば今より幼稚園の頃のほうが幸福で戻りたいと思うこともある。LSIゲームに夢中になったりテレビの歌番組にあわせて歌ったり。それで良いのかも知れない。

古い友人にこのだらしない暮らしを打ち明けると「将来どうなりたいねん?」と言われてギターを練習してミュージシャンとしてステージに立ちたいとか、世界コンピュータ将棋選手権で優勝したいとか、言ってみると「それ全部ホンマに現実的に食えるんか?俺はガソリンスタンドとかタクシードライバーとか考えてるぞ?」と言われて、いや多分もう働いて生活を立てるスキルを手に入れるのはあきらめて夢を食って残りの人生楽しみたいと思ってるんだが電話では伝わらないかも知れないからこのブログを書いておく。

お金をもらえるというインセンティブが無くても打ち込めることが本当に好きなことのような気がするんだ。

革の手帳を使い始めたよ

以前から欲しかった革表紙の手帳を思い切って買いました。

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いやスマホのメモで充分だろとも思うんですけどね、シークレットなことを書くのにネットワークセキュリティを考えたら手帳も良いんじゃないかと。

つまり、ひみつ日記なわけです。そうだよね、日記をネットに晒すなんて変人行為は辞めたほうが良いよね。パソコン持ったときは家にいない時にメールを家族に見られて嫌な気分がしたり何かと隠し事があって晒されるのが嫌だったけど、いつのまにか世界中に自分の情報を発信して、発信していると興味がなくなるらしく友達みんなが知っていることで家族にも知ってほしいことが無関心で周知されていないという新たな不満が。

廃人になって誰にどう思われても良い、ネット上の人格が保存されればリアルの俺はズタボロでも良いというような幽体離脱みたいなことを考えていた時期もあるわけですが、そうだよな。今の俺って隠したいことよりみんなに知ってもらいたいみたいな欲を持っているのが中心人格だよな。昔はどうだったかと言うと八方美人だからあっちに向けている顔はこっちに向けられないみたいなデュプリシティーがあって。

知らぬが仏。秘すれば花。露出狂はだめでござるよ。

今日の読売新聞の「地球を読む」

万博誘致の投票に勝った喜びから一夜明け、何事もない暮らしに戻った。

ウチは土曜日にはマクド、日曜日にはモスバーガーで昼飯を持ち帰るのだが、モスバーガーで以前はセット2人前を親父の分と一緒に買っていたのが値上げでやたら高くなったのでモスバーガー2個とポテトの大1個を2人で分けて家でコーヒーを淹れるようになった。マクドナルドのセットは相変わらず同じような値段だがモスバーガーは国産なのに高い。

そして今日は割引券を持っているのでハンバーガー2個とポテトをハンバーガー1個とポテトの金額で買えてしまうのだが、個人的な貯金目標を達成したのと買い物の楽しさを思い出したので特にコスパの悪いオニオンフライを注文した。客にとってはコスパの悪い商品でも、店にとっては儲かる商品というものがある。それを頼むといつも暗い顔の店員さんの表情に笑顔が戻ったような気がした。

持ち帰りの待ち時間に新聞を読む。読売新聞のコラムだ。経済学と国際政治の両面から貿易についての話が書かれていた。読み切る前に注文した商品を受け取ったので感想は控えめにしておくが、控えめに言って新聞にもたまには良いこと書いてあるじゃねぇか。


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