今日のカルドセプト(ハンデ9をイクストル以外で)

ハンデ9のレベル3アプサラス3体にはイクストル4枚積みが定番。

定番ってか最初に思いつくことで、イクストル4ではハンデ9には勝てても他のブックにサッパリ通用しないブックになりがちなので、他のブックにも通用する範囲で自分のブックを組み替えて挑まないとハンデ9の意味は無いだろうと。

そんなわけで、フュージョン2枚積みなら汎用的かつハンデ9にも十分勝てるなと踏んだので、前々から調整したかったジェネラルカンブックをいじってセレナのハンデ9に勝っときました。

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マジックザギャザリングのデッキを組むのでも1%を切るような所まで確率計算してるのを見て「カード1枚の差は2%くらいなわけだからそこまで細かく計算してもゲームには関係ないんじゃ?」という意見をもらって、それは違うと。2%のカードの組み合わせがゲームの進行によって手札で10%、ゲームを進めると20%30%と引く確率が上がっていって、ゲームの終盤には100%狙い通りになる快感がブック構築にはあるんですよ。

まあ、汎用的とかそういうことじゃなくて自分で遊び方決めて遊んでる内に勝つためだけに拘って苦悶していた頃の悩みをいつのまにか超えていた、みたいな。そして口の周りには無精髭が生えていて廃人フラグが立っているんじゃないかと。狙ったわけではないんだけど不思議なもんだ。ファッションみたいに憧れの人を真似するのでなくて、気がついたら自分が目指していた人のような風貌になっているという。

昨日のブログに宝くじが当たるよりじいちゃんばあちゃんに生き返ってほしいみたいなの、誰かのツイッターを読み返すと同じようなことが書いてて、それを読んだ時にはそんな美談みたいなこと言いやがってと思っていたことが、本当に我が事のようになる。

早くお迎えが来ないかなと

将来どうなりたいと突き詰められて、答えは見つからない。

ずっと自問自答した。

学校で習ったことは哲学を極めると全部ウソに戻る。

目が覚めてみると、寝室の天井を見ながら今の自分は昔の自分から生まれ変わった子供の自分であるような錯覚というか、また新しい人生が始まるような感覚があった。

望むなら、まっさらな自分には成れるような気はしている。

まっさらの人生、真っ白なノートのような。

俺は何になったのだろう。これから何に成れるだろう。

だけど、目が覚めてみると隣におじいちゃんとおばあちゃんは居ない。

もし何でも叶うなら、宝くじに当たって家を建て替えるとか宇宙旅行に出るより、おじいちゃんとおばあちゃんが生き返って今の柱のそばでお布団を敷いて川の字で寝たいと思うようになった。

結局の所、自分の死を恐れるよりは、自分が生きている間に大好きな人に先立たれて、残りの命をどうやり過ごすか。お葬式では解決になっていない。まだ、俺はおじいちゃんとおばあちゃんの死を受け入れられていないのかも知れないな。