日常の些細なことに狙いをすましたキュウソネコカミの歌詞世界

テレビ見てるとフィギュアスケートとかイチローとかにため息が出る。

スゲーなと素直に思う傍らで自分はそうは成れなかったという悔いも生まれ、だけどそういうアスリートはおもんない時も練習に打ち込んで競技人生の中で「ええとこ」を上手いことビデオでつないでもらって一気に見るから凄いのであって、じゃあ自分はどうだろうとあらためて考える。録画してもらっているわけじゃない。だけどいつかきっとと思っておもんないことに耐えたことがどれくらいあっただろう。

イチロー引退試合でヒットを放てなかったけど、メジャーのひとまくで外野から三塁に向かって豪速球を投げる「レーザービーム」のシーンが流されていた。外野から三塁までは距離にしてピッチャーから本塁の3倍くらいの距離があり、そこを正確に投げている外野手はひょっとするとストライクを奪うピッチャー以上の投球訓練をしているかもしれない。俺は野球のことはそこまで分からないが、そういうことは考える。

 

そういう意味ではキュウソネコカミは良い仕事してるよな。「そんなこと歌にするなよ」と最初は思ってたけど、それでも音が良いから聴けてしまって、聴いているうちに反対意見でも刷り込まれて「そうかもな」と思ってしまう。

大好きなバンドが実はパフォーマーで音楽プロデューサーの裏方がいると知った時に世の中は権力でそこまで出世しないと言いたいことも言えないのかという感情を抱いたけど、ロックてのはやっぱり言いたいことを乗っけるプラットフォームであり続けて欲しい。

俺は誰かに言いたいこと、ちょっとした不満を相手にぶつけて相手を変えようとせずに、我慢したり連絡を断ったりしてひとりになることで自分を守ってきた。自分を変えられてしまうくらいなら、人と付き合わないで自分を自分のままにしていたいとでもいうか。

俺の何気ない言葉を聞いている人がいて、その人が不満を抱えていて、ただお互いに無関係であることでなかったことにしてきたつもりの過ぎ去ったことにメッセージを送ってくれる人がいるんだ。ちょっと言いたいことに疾走感あふれるサウンドと笑えるミュージックビデオ。受け手がキャッチできたら、それでひとまずオッケー。

パソコンでプログラムを組んでゲームバイナリが出来るまで

右も左も分からない18歳の頃と比べると41歳でまあまあゲームが分かるところに来た。

ゲーセンでバイトをして貯めた金を夢を売る専門学校に騙し取られ、学べることは全部学んでやると単位を全部取って、職員室の先生の本を読んでやろうと忍び込むと週刊アスキーしか机の上に置いていないという。図書館に置いていないような技術書を自費でいっぱい買って独学でゲームプログラムを身に着けた。独学と言うとひとりのようだが、人にものを教えるのに先生と生徒や職人と弟子の格好を取るのではなく、執筆者と読者の形で現役の生きているプログラマーがリアルタイムに本を執筆して発売日に書店でそれを買い学んだこともあったので、感覚としては独学よりマンツーマンに近い。

派遣社員として大小のソフトハウスや工場に忍び込んでゲームだけでなく電機全般に対して開発、設計、製造、評価のフェーズを技術者として体験した。ベテラン技術者からはお坊ちゃんの工場見学程度にみなされている部分があり、出来ることを見せると「どこでそこまで詳しくなったんだ?」と言われることがある。

勤めているうちに専門学校の先生が退職後勤めている会社がメーカーの評価部門でそこにもバイトしに行って本社の方にも別の部分の下請けで入ったりしたが、工場の中には多くの役職がありそれぞれが縦1列に並んでしまわないように次長部長課長と並ぶのでなく主任や参事といった横並びの役職がたくさんあることを知ったりもした。

大した意味はないが派遣元では開発部主任から支社長になって独立して個人事業主まで行ったが、工場での扱いは本社勤務の人から技師として他のものと並列に扱われ、勤続年数などでマウントしてくる人もいるし、反対に勤続年数ではなく年齢で持ち上げられることもあって難しい。

それでプログラムだけはどうにか白紙からゲームと呼べる形に組み上げてバイナリにしてダウンロードサービスで配布する所まで来たが、それで描いた億万長者の夢は現実とはならなかった。全然思っていたほど儲からなかった。

では何が違うのかソフトの品質ばかり考えていたが、会社というのは商品が青汁でもパッケージして単価を設定して販路に乗せて利益が上がれば億万長者になるものである。俺の場合技術者としてゲームソフトを製造してネットでダウンロード販売するというビジネスモデルで自分で作ったから製造原価が実質無料である。社長として自分に給料を出しながら作れば黒字でゲームを作れるが、個人事業主で製造原価が無料になっても生活費がかかるので赤字である。

まあ、そこから這い上がって最近はどうにかこうにかインスタント食品とコンビニ弁当を食いながら再放送のテレビドラマを見てモンハンなどで遊べる程度にはなったが、並のサラリーマンほどの収入もない暮らしである。

個人事業主を主婦や子供に分かりやすく説明すると社長なのであるが、従業員がいるわけでなし実家暮らしでニートのごとく家にいる。テレビドラマ「フリーター家を買う」の二宮くんを見るとそういう風にも見えるこの暮らしで知らない人に何をしているのかと問われると歴史を逐一説明する気にはならないし、なかなかやりづらい。

技術と商才を兼ね備えた働き者社長を将来像に据えているが、社長てのは従業員を使って頭でラクに儲けたい人が成功するのかも知れないなと考え始めた。

もっとこう、ババーンと打って出るマウント合戦不要の肩書が欲しいのだが。年功序列かつ少子高齢化社会において俺はまだ若い。

41歳なのである。俺の住む町には80代のダブルスコアがまだまだウヨウヨ生きている。

「将来どうなりたい」なんて描けるやつなのか

最近ギターの稽古の時間を増やしているのだが、それで将来上手くなるとして、じゃあその上手くなった腕でどうしたいかということも考え始めた。

大体の人が将来像だと思っているものは現代と将来が大して変わらない停滞期の時代を生き、その中でその年数分だけ年上の人がしている役割の中から自分がなりたい役割を見て思っているだけではないだろうか。

では俺はそうではなく将来像が見えると言うのだろうか。

俺は学生の頃に宮本茂に憧れていた。分かりやすく言うとゲーム雑誌に顔写真が載せられている「スーパーマリオの生みの親」である任天堂の技術者だ。そして就活の頃には任天堂に企画書を出して、描いたものはゲームボーイの時代に有線ケーブルだったものを無線に変えて4人で世界の全然違う場所で一緒にゲームをしているという絵だった。

この発想自体はDSとかモンハンとかポケモンGOで実現したわけだが、企画当時にゲームボーイと携帯電話を見たから描けた将来像である。それ以前に無線技術者で同じことをもっと先に考えたものがいて、それが戦争のためのものから民間の玩具になっただけのことであるが、例えば戦争時代には将来平和になってほしいと皆が思っていただろう。

俺は任天堂にのぞむ形で、つまり宮本茂のようにファミ通に載る形で就職できたわけではないが、ファミコンの下請けであったシャープの派遣社員という形でPSPの関係者のごくごく一部となった。

それ以前はソフトハウスでプログラムモジュールの組み換えをしたりNTTでお侍つまりビルにスーツで入って座ってつまらない書き物をして寿司やら定食やらの上等のやつを割高価格でランチに食べて周りに集まってきた飲食店にお金をばらまく仕事などもしていたが、入館証の管理や会社帰りに繁華街の女性が接客してお酒が出るような飲食店に行ってはいけないなどの細かいルールが守れずに辞めた。

PSPってシャープでなくてソニーだろと多分読んだ人は思うし俺もそう思うのだが同じサイズの液晶パネルのシャープ内での開発コードがPSPだったので俺はそれをPSPと呼んでいたし、ゲーム機のPSPと関係があるのかはPSPの工場を突き止めないと何とも言えない。いち従業員が知れる範囲のことというのはその程度のことだ。

そうなってから、出世するまで会社の中で辛抱するということが出来なかった俺は女性の接客するカラオケ店やアマチュアバンドが演奏するライブハウスなどに出入りするようになった。音楽に対するあこがれが捨てきれなかったからだ。

だから今、将来どうなりたいかをあらためて考え直そうと思っている。目指した地点を思い出すと、俺は確かに学生の頃思い描いたように部屋にいながら世界のどこにいるかわからない人と3DSでモンハンをして遊べたわけだ。その絵は「宮本茂になりたい」という思いを持ちながらも正直にそう書かずに「任天堂で何をしたいか」と問われて「こんなことがしたい」と嘘をついた将来像と全く同じなのである。

やっぱり、正直に考えないといけないと思う。「どうせ俺はこのくらいだからこのくらいでいいや」と思って生きていると、それを維持することで経年劣化していく。

もうちょっと斜め上のビジョンを今から10年後20年後に向けて描けるだろうか。


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