知らない間に「詰めデュエルおじさん」にされていた件

遊戯王デジタルゲームの最新作である3DS版の最強カードバトルをはじめた。

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主人公の名を「みやざわP」にして始めたわけだが、どちらかと言うと俺の自画像が勝手に「詰めデュエルおじさん」に使われているのではないかと。いや最近もうVネックにジャケットとかやらんけど。

そうやなぁ。今どきのデュエルスペースでトレカ始める子供達にとっては初期セットがランダムパックでなく既成デッキになっているから既成デッキにカードを買い足してデッキは変更しない仕様はある意味で現実に即しているのだろうな。

デッキを組むのが面白いと言いながら、大体の人は雑誌やネットを見て強い既存デッキを真似るところから入ってきたわけだから、その意味で既成デッキ同士で戦いたまにカードを買い、全部優勝するくらいになってから自分のデッキが組めるようになるというフローは正しい。正しいのかもだが欲を言うと最初から既成デッキに自分でパックをから引いたカードで改造できても良かった気はする。

 

思えばマジックザギャザリングは4版組なわけだが2010年にM10とアラーラの断片でひとたび復帰をして、既に40枚デッキとして最初から組まれているバント、エスパー、グリクシス、ジャンド、ナヤの5つの枠組みから大きくハズレたデッキタイプというのはトーナメントシーンにも存在しなかった。

4版当時に白ウィニーと呼ばれていたデッキのアーキタイプは「弱っちい」の米俗語「ウィニー」から来ている小型クリーチャー高速召喚デッキのことなのであるが、クリーチャーのサイズが小さいことが弱そうだから「ウィニー」であるのに対し普通の人にはわからない確率の魔法でデュエルには打ち勝てる強いデッキである。マジックザギャザリングの生みの親であるリチャード・ガーフィールドもオーダーマインドという白ウィニーの亜種で優勝し、白黒ウィニーホワイトナイト系3種12枚を主戦力とするのでトゥエルブナイツとも呼ばれた。だからバントの騎士にナヤの騎士をブチ込んだ俺のデッキも「ホワイトナイツ」つまり「白騎士デッキ」なわけだが、大会後レビューになった時には「バントビート」という括りにカテゴライズされたようだ。大枠から外したくないのだろう。

今年は2019年であるが7月12日にひと足早くマジックザギャザリングの基本セット2020が発売される。まだどんなカードが収録されるかは分からないが、M10の時にも絶版カードの再録と複雑な効果のカードでなくシンプルで強いカードが収録されていたのでちょこっと買ってみようかなと思っている。

現行の「灯争大戦」が強いらしいので、そこがゲームの中核になってくると基本セットのカードで太刀打ちできるか分からないが、基本セットからゲームを始めた人を強力にサポートするセットが基本セット2020の翌年に出たらアラーラーの断片みたいな楽しいブロックにならないかなと。2002年のオンスロートも好きだったな。

やっぱ怪物出して殴り合うゲーム性が主軸になるカードセットが楽しいよ。

話を遊戯王3DS版に戻すとデジタルゲームとしては非常に良く出来ているけど、オリジナルのトレカのゲーム性がゲームの基本から逸脱しているので、トレカがゲームとして楽しめるようになると最高のゲームにならないかなと。

カルドセプトのデザイナーはレベルアップの楽しみを感じてもらうため敢えてセットに弱いカードを入れてスタートすることにしたと公言している。遊戯王ならクリボーのように弱いけど効果のあるモンスターとホワイトシャークみたいな序盤では活躍するけどカードが集まったらゴミになるモンスター、そういう要素も楽しさのひとつだから難しいよね。

遊戯王DSのデッキに融合とカオスの儀式を取り入れてみた

デッキが強すぎて飽きてきたので、弱くなるのを覚悟で大型モンスターを入れる。

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何故大型モンスターを入れるのに弱くなるのを覚悟するのかと言うと、アドバン理論で儀式や融合で手札をたくさん使って召喚したモンスターを魔法や罠で破壊されると手損になるから。だから今までは手札を損しないようにレベル4攻撃力1900モンスターを中心に通常召喚と除去で勝つというマジックザギャザリングの発想でデッキを作って戦ってきた。

だがしかし!デカイのを召喚してもし除去されなかったら短いターンでアッサリ勝つ。相手にデカイのを呼ばれて除去しても手札得だがそのままでは勝てず続きの展開になる。相手にデカイのを呼ばれて除去が無ければそのまま負ける。そして相手がデカイのを呼ばず手札に除去があるとき試合は大抵1900タコ殴りで勝つのだが退屈である。

以上の理由から「レッドアイズブラックドラゴン」と「カオスソルジャー」と「ブラック・デーモンズ・ドラゴン」と「融合」と「カオスの儀式」を組み込んでデッキをゴージャスにしてギャンブル性を高くして遊んでみた。楽しかったぁ!

なんとなく近頃抱えていたモヤモヤした悩みが全部吹っ切れた感じがする。

 

当然といえばそれまでの話だが、遊戯王のデュエルで相手の攻撃力または守備力の中で一番大きいものよりさらに大きな数字のモンスターを出せると攻撃でカードを1枚ずつ破壊できるので、フィールドに大型モンスターを呼ぶとそれだけで得になる。

だから手損でも生贄召喚や儀式や融合で大型モンスターを出すのも理にはかなっている。それが罠や魔法で破壊されて手損になっても、手得になったほうがどうやって手得をフィールドでの優位性に変換するかと言うと、レベル4以下のモンスターを並べるか生贄召喚になる。レベル4以下のモンスターを並べても攻撃力2400以上の大型モンスターが1体でもいればモンスターの数で負けてもターン1枚取り返せるわけで、小型モンスターでターンを粘るのが手損なら罠や魔法で得した分は帳消しになる。

その状態でバランスは取れているが、均衡をひっくり返して勝つためには相手が除去を引く枚数より大型モンスターを召喚する回数が上回らなくてはいけない。除去のほうが多くてもゲームの勝ちに直結するわけではないから、何とかして大型モンスターとそれを召喚する術をデッキに忍ばせ、それを引き当てるまでデュエルするというのは正しい。

 

 

何より、デッキがどんなに強くても攻撃のアニメを何度も見るのは面倒で、大型モンスターを召喚してから1発で相手のライフがごっそり減るその様は気持ちいい。

このへんはグラフィクスや音楽の演出があるDS版ならではの感想かもしれない。マジックザギャザリングのデュエルでもクリーチャーを並べて手でタップして「8点ねー」とやり取りしてササッと進むのがパソコン版で1匹ずつタップして「ファストエフェクトをスキップしますか?」というダイアログを3回くらいOKして2点を4回繰り返してやっと8点というのではテンポが悪すぎる。

反面、そういうフェーズ割り込みが用意されていないと手札の駆け引きがなくゲームとしての緊張感には欠ける。この手のジレンマはパソコンゲームではキーボードショートカット山積みで解消してきて「ボタン増やせば良いんじゃね?」という感覚の人と操作が難しくなって敷居が高くなるという別のジレンマを生む。俺がスマホタブレットでなくパソコンを愛用し続けるのもキーボードが付いているからだろう。タイプしているだけで気持ちいい。

 

このへんカプエス無印でレシオ1の4人チームをいちいちやっつけるのが面倒だからレシオ3のサガットの対空アッパーカットでどんどんやっつけたいと思ってキャラ替えしたのと通じるものがあるな。俺がオリコン嫌いなのも減り過ぎで強いからでなくゲージの減り方がチマチマとして操作が忙しくみみっちい感じがするから嫌いなんだ。

 

ヴァンパイアセイヴァーチェーンコンボのダメージが小さい。ハンターがちょうど良いという派閥にずっと属していた。けど、セイヴァーやった後に初代をやると減り過ぎだと初代のファンだった人でも言う。対戦型だから減りが大きい小さいはゲームの駆け引きの回数と反比例の関係を示すので減らないゲームのほうが上手いやつが勝つ。バーチャ2派閥の人間もモリッと減るのが下手でも勝てて良かったのだろう。

 

俺もおっさんゲーマーだから楽しいと感じる丁度よいポイントが若い人のそれとズレているかもしれないな。遊戯王もZEXALよりナイトメアトラバドールで遊ぶほうが楽しいと思ってやってるから。

今日のカプエス2(ブロッキングのザンギエフその2)

ザンギは近寄ってスクリューという明確な目標のあるキャラ。

Pの場合は歩き、ステップ、小ジャンプ、普通のジャンプ、大ジャンプで近寄ることができて、特にステップで小スクリューの間合いギリに飛び込んでスクリューと、その距離が屈大パンチの射程なので殴るかステップスクリューかの二択で攻めれる。

ここで二択という言葉が出たついで、半丁博打のようにステップスクリューと屈大パンチが裏表なのかというとそうでもなく。

大パンチを差し込むにもリーチギリギリで相手のリーチより外から狙うのが基本で、先端を当てるのが上手いとその牽制だけで相手の出来ることが限られてくる。

同じくステップ小スクリューも投げ間合いギリギリを狙うことで相手のリーチの外からぴょんと飛び込んで吸い込むため、屈大パンチとステップスクリューは二択というより間合い取りの甘い相手にはどちらも通る攻めになる。

この戦い方を実行するには屈大パンチの間合いの外から相手が飛び道具を打ってもブロッキングで無効化して耐えるくらいの腕がないといけない。

そんな腕があったら攻略なんてイラネーヨと思われそうだが、そういうPグルが好き。

 

俺はブログを綴る過程で人生の意味を問い、哲学的に人生に意味はないと書いたことがある。自分の言葉なんて大した影響力はないと思っていたが、その直後に各地で引きこもりの人が自殺したというニュースが飛び込んできた。責められたわけではないが、俺のタイムラインにそれと分かるように自殺報道が貼り付けられ、しばしひどいことを書いてしまったのではないかと悩んだ。

その時にも意味はないと書きながら、但書として「アイスクリームを食べて冷たくて美味しかった」というような小さな意味のまとまりとして人生があるから、生涯がなんであるかと大風呂敷で考えずに日々の小さな楽しみを見つけるのが良いとは書き添えた。

その意味で俺の人生の中でストリートファイターとの出会いは多くのプレイヤーとの交流のきっかけになったわけだし、それが家族に理解されず無駄遣いだからとプレステ生活になった後でもこうしてストリートファイターの後継作品であるカプエス2についてブログを綴るのが楽しみなわけだから、意味だと思う。

数学の好きな人に分かるように言うと、人生の始めと終わりを時間でx軸に取り、終わりの時にy軸がどんな値であったかと考えず、xが0から臨終になるまでどんな軌道のグラフであったか。y軸に何を取るかが価値観だとすれば価値をふたつ持って3次元に考えることだって出来るだろう。そう考えると4次元だって5次元だって、物理の空間と相関関係を持って考えようとしても想像できなくても、価値の尺度で考えればグラフに出来なくても様々な広がりがあることは気づけるだろう。


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