あらためて格闘ゲームを考え直すこととした

ストII波動拳、飛び込み、対空昇竜のジャンケンだという持論について再検証する。

循環論法

〘論〙 論点先取の誤謬の一つで,論証すべき結論を潜在的顕在的に論証の前提とするような論証の方法。循環論証。

こういう風になってしまっていないか、ということなのだ。

自分の論理の決着点として、三すくみの要素があるところに行き着き、悶え、答えが出ない。

しかし、さかのぼってみるとボッ立ちでガードすらしっかり出来ないとか、対空の返し技を読み違えているとか、不正解の選択肢が無数に用意されていて、その中から正解手を選び合うと極論としてジャンケンになる部分がある。弾ジャンケンや投げハメリバーサル問題だ。

だから、正解手同士が堂々巡りになっていたとして、不正解手を選んでいる相手には正解手で取れるダメージが大きくなり、それに批准して勝率は上がる。そういうことだ。

 

一方で、既に俺はこの持論をネットで展開して合意を得ているし、いまどき正解手すら知らないプレイヤーを見つけてやっつけるよりも、正解手同士のジャンケンをゲーム理論で深掘りするほうが勝ち残るために必要な研究ではないかという考え方もある。

 

バーチャファイター2は流行ったが、バーチャ3はマニアック過ぎた。そしてボタンが3つに戻ってカードシステムが採用されたバーチャファイター4は流行ったが、十段が登場して何度かバージョンアップされた。

はじめは十段は最高位であったが、十段が数人現れるとその中から覇王が生まれ最高位となる。皆が覇王を求めると、ゲームの昇段システムが甘くなり、段位はインフレを起こしてゲーセンには十段以上の段位持ちが溢れかえり、トーマス岡田はこういった。

「いまどき平均十段や!」

 

なんとなく考えていると、そう見えてもおかしくない都会のゲーセン事情なのであるが、十段以上の称号数が初段から十段までと等しく十個用意されているとして、正三角形でふたりに勝つと一段上がると考えてみると、十段が中央値でも正三角形の高さの半分のところに順位するわけで、十段は上位4分の1となる。正三角形の高さの半分のところに高さが半分で上下が反対の面積4分の1の正三角形を補助線として引けば、4分の3が直感理解できるだろう。

 

話が横道にそれたが、もとのジャンケンに戻すと、これも直感理解では永久ループの堂々巡りに見えてくるのだが、どこかに堂々巡りになった入り口があるはずで、出口が見つからないのは入り口を忘れているからだ。全部巻き戻せば堂々巡りになる前の論理の入口が見つかり、そして巻き戻すと即ちそれが出口になるのではないかと考えている。

「やらない」「台を買って店に置く」「株を買う」みたいな戦い方でなく参戦することで上を目指すならどうするかというところで、ブラックボックステストでゲームを試すところから始め合って、ゲームの狙いとしては後ろに入れればガードという簡単な操作で相手の攻撃を簡単に凌ぎ、考えながら長時間プレイできるというところがアーケードゲームとして新基軸。

つまりは時間単価の値下げで売り始めたゲームなのである。東亜プラン究極タイガーや達人に対してあっという間に負かされて遊べなくなったシューティング。それはインベーダーやグラディウスが完全攻略されて1日で100円以上取れなくなった歴史に起因するのだが、あんまりにはじめての人に優しくないからちょっとした手心で出されたゲームがストリートファイターだと言えるのかも知れない。

 

日本ではSNS発達以前にゲームのキャラをアバターとしてコミュニケーションをとる「持ちキャラ文化」があったが、眉唾ものではあっても海外では乱入するたびに相手のキャラに有利なキャラで殺して、相手が再度入るときにはまた負けた相手に有利なキャラを取るということが際限なく繰り返されて日本人が大会とかの催し物を通して持ちキャラ文化を輸出したという説があるのだが、それは白人系は理解していて、海外とかアメリカと言ってユーロ圏白人系外人を連想するか、そうでない海外を連想するかの意図的な誤認メンタルマジックであった。

 

同じことを繰り返していることに気づいたら、何か違うことを始めたほうが建設的であると考えるのが俺の思考の方法なんだけど、どうやらゲーム業界というのは同じことを繰り返させる中でその枠に人をハメて100円づつ取り上げる業界だったらしい。

お金が相応に使われるなら、グラフィックなどを刷新して飽きさせないようにする。だからストリートファイターも今はストIIではなくストVまで来ている。そこで俺がお金を取り上げられないようにストIIのロムを研究し直して、堂々巡りであることを突き詰めて飽きたのだ。

信じられないことに、80年も前にノイマンによって考案された半丁博打の「囚人のジレンマ」を現代にも研究して論文を書く人がいる。まあ、認められる以上は何らかの科学的な新規性があるのだろう。同じようにストリートファイターIIに絞って研究すれば、新手があるのかもしれない。それは決してリュウが手を伸ばしたりザンギエフ波動拳を打つような新手ではなく、ゲームとして意思決定をする上での新しい作戦という意味だ。

だがそれはもし起こっても、IPS細胞や青色LEDのように世界を変えるものでなく、人知れず刷新されて、ごく一部の人の間で承認される小さな発見に終わるだろうと予測する。

それでも良いから何か自分が納得する答えになりうる新しい論理が欲しくなって時々考える。

1番に拘ってみたことがあるんですよね

カルドセプトDSをしてテレビを見ていたらいつの間にか夕食の時間。

ブログのログが飛んでしまったけど、2017年にはそういう日も多かった。

ひと勝負すると1時間位はかかってしまうので。今日は5試合こなした。

 

カルドセプトMTGをタバコに例えたら禁煙パイポみたいなもの。

電子タバコとかニコチンパッチという方が今風なのかも知らんが使ったことはない。

MTGは面白い。それと比べてカルドセプトはダルすぎると最初は感じていた。

そして、MTGの賞金を目指したはずなのに逃げのような後ろめたさもあった。

ただ、使うお金と賞金を比較して、1回優勝するなら3年貯金したほうが確実と。

 

その結果が今である。夕食は寿司にする予定だ。株式投資なんかにも手を出した。

そして、ちょっとだけ遊んだMTGの店舗大会での32人くらいで3位になった。

プレイミスと断定するわけではない。ドローは未知なので、手堅い方を取った。

しかし結果的には攻めっけのある選択を続けていたら僅差で勝てていたかも。

滅多にやらないので、ゲームは都度覚えていて、いつまでも悔いて反芻する。

 

3位でも景品はほとんど変わらないし、プロツアーでも8位くらいまでは入賞。

そこまで1番に拘らなくてもいいんちゃうと飲み友達になだめられたりもした。

 

ただ、1位を取りたい、楽しみとかでなく1位の景色を見たいと思っていた。

ある日のゲーム大会で最初の席順が決まる前の待合で1位のテーブルに座った。

そうすると優勝常連のプレイヤーが俺の前の決勝席に遅れて座りに来た。

雑誌やネットで見た顔なのでそっくりさんかも知れないが、金のデッキケース。

結果、その日は最後に真ん中くらいの卓でゲームを終えた。なにかが変わった。

 

近所に今はないが西友があって地下がマクドナルドだった。よくそこで食った。

これが11時30分位にいくとガラガラで、テイクアウトを頼むと番号が来る。

店員さんが何気なく渡すその番号札が1,2,5などと振られているようだ。

ときどき1番をもらう。そうすると上機嫌になるものだ。2番だと拗ねる。

最初は俺の素振りに店員さんが気づいてよく1番をくれた。

俺の生活がルーティン化すると俺が家を出る時間に先回りする輩が現れた。

偶然とか被害妄想と思われるかもだが、退屈で遊び場のない街での出来事。

最初はイラッとしたが、特に毎日というわけではない。やり過ごす。

道路でのあおり運転とそれに類する家からスーパーまでの道でのブロッキング

コンビニで何となく1巻を取ってみた漫画を3巻続けて毎週楽しみにすると、

4巻目になった時にたまっていた不良が4巻を先に買ってしまって飛び番になる。

 

1番に拘ってから、そういう普段は気にしていないちょっとのことでも順位があり、

そしてそれと気づくと気づいたものから横取りしようとするものが現れる。

抜け目なく、用心深く、ずる賢く、計算高く、少しづつ得を積み重ねてゆく。

 

それもいつしか気にしなくなった。自分で部屋に集めたものだけで十分楽しい。

人には自分の楽しみを奪わえっるという嫌悪感のようなものをいつからか抱いた。

友だちができてふたりのほうが楽しいという価値観より、誰にも邪魔されない。

そっちのほうが自分に都合がいいように感じることすらある。

 

ただまあ、競技の形を取って勝ちたければ、相手を見つけて負かさないといけない。

今は勝てそうなものを探すより、まずは負けていると思う部分を自分で探している。

そうして力を蓄えるべき時期ではないかとも思う。何のためかはまだ分からない。

自分の部屋で繭に籠もるように、部屋にある本を読んでひとり用のゲームをする。

ギターの練習だって10年位やってみたら、昔のような気負いはいつからか消えた。

今感じている何らかのいらだちも、そのうち消えるだろうという予感がしている。

2020年も晩秋のカルドセプトDS(遊び心とスリルを)

10戦10勝ブックで勝つのは満足したので飽きたと思ったカルドセプトですが、なんかDS版にまだ何か未練を感じていて、そりゃ3DS版は500試合やったけどDS版は100試合程度なのでもうちょっと遊び込もうと起動したわけです。

そして勝つために見捨てたカードを見直して「やってみたい」や「こんなキャラの人が居ても良い」というひとり上手なロールプレイの後に何度かブック回しをしてたどり着きました。

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ソンギョウジャブックと呼ぶには2枚しか入っていない(というか持っていない)例のお猿さんを主軸と言うにはやや細い線で、2枚しか無いけど2枚はあるわけで上手に使ってやろうと色々と考えて組んでみたブックなのです。

そうして2週目のロカで大混戦ののち、ほぼ負け確からバックワードを引いて領地レベルアップ手持ち全部でレベル5の大博打が当たってしまう超ラッキーで逆転勝ち。将棋の棋譜とか麻雀の牌譜みたいのあったら是非とも取っておきたいと思いつつ、勝利画面のグラフは写真に取らずスルーしました。まあそういう一期一会の勝負がカルドセプトの面白さだと思うので。

あと決して「強すぎる」では無いと思うけど、上手く使うとゲームバランスが崩壊するスワップスペルとかの3DS版で無くなってしまった過去の壊れカードについて、無くなるべくして無くなったと思えるようなバッチリ決まったゲームってまだ体験してないよなと思って。

フードラムとかも無くなった理由は多分、使われないからでなく援護ブックで40/40で20Gという使いようによってはこれも壊れカードだからかも知れないよね。あとはカタストロフィとライフストリームのコンボとかも実際に決めるとどうなのかとか。

3DS版の異様なやりこみと違ってDS版は凡庸に強いカード集めて「強いカードばっかになると飽きてくるよねー」という話に古参の筋から「いやいや面白いのはそっからやで」と言われて、しかしこのブックに行き着いてから戦果として結構ギリギリの勝負というのが分かると「ああ、やっぱり勝ちを求める意味では既に十分やったんやな」という結論に。

試合展開が大変なことになるカードはあっても、それを使うとすごい勝ち方になることがあるのと安定的に強いのはまた違うと言うか。MTGのデッキも引き出しから出して眺めて、もう充分だけどせかく強くなった自信がついたんだから、得意なゲームとして勝ちの余韻に浸ったら、さらに満たされて自信ももっと付いてくるのかもなと思いました。「あとは勝つだけやで」という強く背中を押された感じで。

まあ、言い方変えれば「こっからは結果出していけ!」ということなのかも知れませんが。

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最低限の遊びゴコロは残して、ちょっと勝ちやすいようにブック調整した結果がコレ。

スワップスペルが1対6枚で完璧に決まり、圧勝した。やっぱMTGのマインドツイストとタイムツイスターが同時に決まったみたいなもんでそりゃ強すぎるわけか。そうなるシチュエーションは限られているというものの、無くなった理由も分かろうというもの。楽しいのに。

もうひとつ見直しているカードがバックワードで、安定性から言うとHW1なんだけど、接戦をもう一度運ゲーに戻せる力は侮りがたし。でも使われると嫌なので人には教えたくない。といってブログに書くと教えているようなものだけどさ。まあ今さらのゲームなので。

ずっと水風属性で戦ってきたので水地属性のこのレシピは新鮮。火地から始めているので、火風属性の強いブックを組めたら隣接四属性コンプなわけだが。まあ追々。そのうち。


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