駄菓子屋がなくなって、地域の子供同士のつながりがなくなったという話を聞く。
子供の頃を振り返ると、自転車の距離に駄菓子屋はあった。
その駄菓子屋で新しい子供同士のつながりは出来なかった。
元々仲のよい公団の子供達が群れなして、近所の子を牽制する対立構造が形成された。
親の所得で見ると、持ち家と公団で、公団側が不利だが、子供同士の関係は革命が起きている。
しかし、友達ができないかというと、駄菓子屋ではなく、おもちゃ屋などで、仲間ができる。
この仲間は子供同士というものでもなく、社会人と子供でも対等な付き合いに近い。
大人だからという事に幅を利かして、子供に一方的な関係を強いると、軽蔑される。
これは、レゴやゾイドなどの簡単なものから、模型の文化圏での話に限られる。
子供といえど、おもちゃは買うだけでなく、組み立てや塗装の仕事をしているからだろう。
タイトルまで、なかなか近づかない。
ドラクエか、FFか、そういう対立構造の話だ。
おもちゃ屋の時代を模型からファミコンまで進めなくてはならない。
子供同士で、ドラクエか、FFで揉める事は少ない。
カセットは貸し借りするし、相手の持ち物を尊重する優しく素直な気持ちは子供の方が強い。
ファミ通の特集記事や、大人のケンカが持ち物に飛び火して、もっと具体的な抗争が隠される。
ゲームの中の特色よりも、人気漫画家が絵を描いて、少年誌が押しているドラゴンクエスト。
社会認知度というと難しいけれど、詳しくなくてもドラクエの名前くらいは知られている。
ファイナルファンタジーは、書店に出入りするインテリ層に天野喜孝の絵がウケた。
中身同士を比べると、細かい違いがたくさんあるけれども、主観性を抜いて比較できない。
文章として、きれいにまとめたくて、書きたい事がかけない。
子供の頃の目は、そんな事よりも、
ドラクエが好きと自己主張する、おもちゃ屋の客と、
FFのほうが良いと言って譲らない、もう一人の客と、
その二人の大人の言い争いや、ケンカの仲裁に入る店の主人の物の言い方。
そういうところに興味を持って、一緒になって遊んでいた。
ドラゴンクエストは全部買った。
最初の作品は転勤族の父を持つクラスメートが借りたまま転校していった
大好きだった2作目は、貸し借りで友達の間を回り回って、帰ってこないまま、
担保としてナムコのSTAR WARSを預かった
3作目で出荷本数が増えて、クラスの何人かが発売日に買う事ができて、クリアの競争になった
4作目は、中学受験が重なって、遊べなかったけれども、
合格祝いに、友達がまだクリアしていないのに、そっと家まで貸しにきてくれた。
たくさん遊んだようで、家を掃除しても、バイトの給料で買ったスーファミ版しか出てこない。
かわりに、おもちゃ屋でよく遊んでくれたお客さんの名前がボールペンで書かれて、
譲ってもらう時に、上から何度も消そうとして跡が残ったファイナルファンタジーIIの、
白いカセットがおもちゃ箱に残っていた。