ビデオゲームクロニクル1 奇々怪界


ビデオゲームって基盤の中にデータが入っていて筐体を通して映像や音楽のデータがプレイヤの操作に反応して変わっていく。ゲームの中に仕掛けられた罠を乗り越えることが出来ない人は後の方に入っている絵や音楽を楽しむことが出来ないわけで、ゲーム音楽のCDやゲーム後半の絵が写真で載っている雑誌なんかには需要があって、そこに付随している記事とかライタや作者の名前がいつまでも好きなのって自己愛にほかならないと思うんだけど、会って取材して同人誌まで出しちゃうと出発点は自己愛でも結局ゲームが好きというより機械を介して遊んでくれた親の代わりに対する感謝みたいなレベルになっているんだろうな。
ゲーム機与えて放っておくのって学校終わっても図書館で勉強しておきなさいとか、卓球の壁打ちずっとさせてるのと変わらない気がするんだけど。まぁ、ウチの親も忙しかったようで文句は言えないんだけど・・・。ちょっと違うかな。玩具やぬいぐるみだと実体があって触れることが出来て、愛を感じるんだけれど、ゲームってコントローラしか触るものがないわけで、僕は結構スーファミコントローラーの丸みがラブだったりするんだけど、映像や音楽は電源切ってしまうと消滅してしまうものなので、愛の対象がプラトニックになりがちよねー。
取材に行って、ライターさんや絵描きさんやプログラマの方と握手でもしたのでしょうか。
最近XBOX360のリモコンもラブかもしれないと思ってます。
そうそう、薬園八幡神社の巫女さんが婆さんからお姉さんに変わってラブです。
婆さんでもめげずに賽銭入れてきた甲斐があるというもの。
一回ぎゅっとしてみたい。きゃー。