バイオハザード2

近所のゲームショップでバイオハザード2を購入。

なんと、だるまみくじと同じような値段。
なぜ、いまさらバイオ2なのかというと、時代遅れの男になりたい。
タバコは1日2本、だったか。何かの歌詞で、そういうんです。
時代を先取りしても、話し相手に困るというか、情報交換できない。
ただ、先に行った方が、遅れてくるものに情報を与え続ける、
そういう関係になることが、ほとんどなんでしょう。
舶来品のゲームをのぞいて、国産品ではバイオ2は発売当時の
時代のエッジだったゲームで、銃の描写が社会問題になりました。
そんなことを気にせず、CALL OF DUTYで銃撃戦をする、
そういうのがPCゲーマーだったのですが、もう学級のような、
大人数のコミュニティ(人の輪)での情報交換をしなくなって、
数学の集合論のような頭数の分析が意味を持たない。
だから、黒澤明シェイクスピアを勉強する気持ちに似た感情で、
時代遅れのゲームを今からでも、遊んでみる、そういうことです。
太宰治を映画で見るということが、時代と考える人もいるように。
時代という概念は歴史研究の産物であって、小学校は教科書で、
歴史を勉強します。このとき時代は200年区切りほどの感覚。
これが、id:karmenは30過ぎになって、100年が年齢から、
目算で見えてくる。いままでの3倍ぐらいかな、というふうに。
バイオハザード2は10年前のゲームで、10年は新聞記者の
時代の区切りの感覚ではないかと捉えています。
20歳まで勉強して60歳まで働いて80歳で亡くなるのが、
全ての人にとって普通であると考えると、遊べる20代に経験した
その新聞で言う時代の風景が世代という考え方を産みます。
スポーツ年鑑のようなもので、20代をひもとけば世代が見える。
それを、テレビゲームで追う。
だんだんと廃れているといわれる、30年ほどの歴史を持つゲーム。
その30年を、5年、10年ずつで区切る。
バイオハザード2は紛れも無く節目になっているゲームでしょう。
(つまらないとおもいますが、おもしろさと普及性は異なります)
時代を先取りしていたというのは、あとの時代に追従ができてから、
その結果論として出てくる話であって、個人的な予測としての話、
バーンアウト(バーンナウト)あたりは尖ってるゲームだろうな。


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