ゲームの面白さは誰が決めるか

短い期間ではあるけれどゲーム制作会社で働いた感想として、
ゲーム制作の最終決定権はプログラマにあるか否かという話をしたい。
企画やデザインから絵があがって来て、音響さんは曲やSEを作る。
プログラマーはそれらを紡いでゲーム機の中に入れていくのだけれど、
ゲーム台の外側つまり外装部分や基盤なんかはハード屋さんが作る。
ゲーム中に大きなメモリアクセスなどあると読み込み待ちが起きる。
音や絵でごまかしている間にメモリロードをして気付きにくくするが、
この時にCPUを良い部品に付け替えるかどうかなどのコスト部分は、
1台の値段や売上げ代数を計上している経理部門が決定権を持つ。
ディスプレイの解像度にしたって経理がOKしなければ決まらない。
ゲームのテンポやキーレスポンスなどの直感的な部分への決定権を
プログラマが握っていて、それが些細ながらも重要度は高い。
これは、まことしやかに語られるが真実ではない。
押してから少し待たないと動かないようなトロくさいゲームでも、
音や絵がしっかりしていると、ユーザーは待ってくれるもので、
動かし方の手本のようなものがあれば、それに従ってもらえる。
素早いキー操作にきちんと付いてくるゲームはマニアに受ける。
自分自身マニアなのでその気持ちが強くてプログラマになった。
そしてもうひとつ言える事は、メーカーの特徴といえるゲームの挙動。
このメーカのゲームは大体この操作感であるという感覚は、
メーカーのこだわりや設計思想のようなもので決まっていない。
売れたゲームがあると、そのプログラムを部分的に使い回すから、
それで誰も手をつけていない引き継ぎ部分がメーカーの特徴になる。
このへん、たくさんの会社を渡ったわけではないので言い切れないが、
どこのメーカもリソースの使い回しをしていると読み切れる。
同じものを作り続けて暮らしているものにとって新しいものは怖い。
過去のリソースを使い回さずズバズバとプログラムを組む1ヶ月、
出来上がったゲームは今までの同メーカー品と少し毛色が違う。
もちろん、新しく組んだ部分を今までに似せた部分もある。
開発中に喫煙室でサッポロ黒ラベルの話題が出た。
新商品の競争の中、ビールの味が変わって消費者から文句が出た。
消費者の意見を取り入れて古い味をもういちど出してヒットする。
バリバリ新しいプログラムを書いている時だったので意味はわかる。
また、企画からはこんな話も出た
「君はゲームの完成形を求めて仕事をしている」
「マーケットに合わせた新しいものを次々と出していくのが仕事だ」
細部にこだわって深夜まで微調整を続ける様を「趣味」だと言われた。
企画はゲームをもっと単純化したくて、プログラマに休めという。
デザインは絵が画面に出れば良く、あまり使われない画面を嫌う。
タイトル画面やパッケージの箱の絵を描く人がいちばん偉いだろう。
音響さんはゲーム台が店でどんなボリュームで使われるか気にする。
プログラマはユーザに思考を求めるような複雑性を好んでいる。
絡む人数の分だけ思惑があり、また機械ゆえの制限もある。
良い面は1人よりもずっと簡単に規模の大きなものが作れる事。
期間も短期間でやれる。
プログラマは自身が大事なポジションだと信じて働いているが、
その実は他のスタッフと同じ1人分の仕事をしているに過ぎない。
制作に関わったゲームの名前は出せないけれど、冬から稼働します。