ファミコンのプログラマで少ないメモリ容量で工夫が凝らされている、
「こりゃ天才の仕業だわ」というようなツイートを見かけました。
「そんな天才なら何故ファミコンごときに注力する」というような、
また別の角度からの頷ける(うなづける)返信。
今で言うならiPhoneのAppStoreのようなものだと思うんです。
自由な職場として実力を出し切れる場がファミコンだったんだと。
日本の社会は出る杭打たれるので、
普通の会社じゃ潜在能力のある人も腕を出せずにくすぶっている。
ゲームソフトの会社のような社会からハミ出たような場所にこそ、
普通の会社におさまらなかった腕利きが居てるように思うんです。
(思うだけでなく、実際に会った事もあります)
だからといってゲーム業界人が優秀かというと、
先に行ったように出る杭にならない範囲で仕事をしているもので、
目立たないけれど実は出来る人と言うのもまだまだ居ると思います。
(これは観測外でほんとうに思うだけですが)
普通の会社は労働賃金が時間清算なので、
人の27倍仕事をするプログラマの成果単価は27分の1です。
同じ事を時間をかけて、ゆっくりやる人の方が給料が高くなる。
そんなのが長年まかり通っているのも、プログラムは軽視されていて、
同業の他社と比べて似通ったものが手に入るなら、それでいいと、
会社同士でも出る杭打たれるから足並み揃えてという図式がある、
(この部分は調査したわけでなく、感覚的な想像の産物ですが)
目の前のノートパソコンが故障してしまうことの重大さというのは
何か冗談を言ったときシラケてしまうより大した事ではない感覚。
パソコンと言うのは会社で使う色々の道具のうちのひとつで、
ボールペンが詰まったら買い替えれば良いように、
パソコンのシステムが何か異常を出したら、
プログラマを買い替えれば良いと言うような感覚で、
もうパソコンの中身を作る人なんて人としては意識していない。
これはプログラマの人権の問題でなく距離感の問題と言いますか、
ボールペンにしても1本折れたから三菱鉛筆の人がどうとは考えない。
そういう体質というか観測範囲の現状に馴染みきれるかどうか。
IT業界の職場が暗いと言っても、
養殖のカキを貝から金具でかきだすパートか何かと変われるかと、
そういう想像をすると、今の職場は随分良いものとも思えます。
平社員でも、ひとり社長のフリーランサーになっても同じです。
20年はやく生まれていればファミコンでひと山当てれたかもなー。