過疎と過密と人間関係

家族関係を考える (講談社現代新書)

家族関係を考える (講談社現代新書)

大家族より核家族のほうがたぶん揉め事は少ない。
育児の集中などで揉めてる場合じゃない問題もあるのだろうけど、
田舎の大家族などは誰も口には出さないイサカイがあるものだ。


それで僕の家族に対する愚痴を延々書いたが、それは公表はせず、
いつもの3倍くらいタバコを吸って飲み込む事にした。


近所の商店街は寂れてから復興のために寄り合いの仲が良くなった。
少なくとも表面的には団結している。
(寂れても、そこそこやって行けてるところは行事ごとが面倒だ)
高度成長期、バブル期など景気のいい時は商店街は繁盛したけれど、
その裏で近所同士は陰口の叩き合いで仲がいいとは決して言えなかった。
そのへんも色々書いてから読み返してタバコになった。
わざわざインターネットを通さず誰かに愚痴れば済む話だから。


そのへんの人間関係の良し悪しが人口密度によって変わる話、
人が少ないと仕方なく寄り添い合って暮らすが、
人が多いとグループに分かれてイサカイを起こすという、
傍目から見ると当たり前のようで、当事者になると操れない。
そういう話とトーナメントのゲーム理論が似ているなと思い、
これも長文を用意したけれども、ゲーム理論を持ち出すと、
分かってもらえる話の筋合いが余計に分からなくなると、
結局のところ書いては消してで随分時間を取ってしまった。


僕は社会学や心理学ではドシロウトで、
ゲームやコンピュータはそこそこ分かるものだから、
どうしても例え話や考え方の根幹が論理回路ゲーム理論になる。
せっかくだから、この際落としどころも定まらぬまま書いてしまおう。


カードゲームのマジックギャザリングにドラフトという遊び方がある。
4人から8人くらいで卓を囲んでパックからカードを1枚選んで、
皆の手札が無くなるまで1枚抜いてとなりに回して行く。
そうしてできた手元のカードから、束を作って互いにゲームをする。
束の枚数やゲームの細かいルールは省いて説明を続けます。
この遊び方に日本人とアメリカ人に根本的な違いがある。


日本人のほとんどはヘイトドラフトと呼ばれる戦略を取る。
どういう事かというと、相手に取られると嫌なカードをまず取る。
自分の手元には人に取られたくないカードの束が残り、
その束の中からどうにかこうにか戦う方法を模索してゲームに臨む。


これに対してアメリカ人は、自分の取りたい好きなカードを取る。
どんどん自分のやりたい事を突き詰めて、取られるのは我慢する。
自分の手元には自分の取りたい戦略に沿ったものが残る。
ただし、卓の残りの人間も好き放題に強い手札を持っている。


この両者の戦略を比較すると、たいていはアメリカ式が勝ち残る。
簡単な理屈を説明すると、8人の卓でヘイトドラフトをしても、
残りの7人のうちの1人にしか邪魔の効果が表れないのに対し、
自分の好きなカードを取ると、卓の1人には強い手札が届くが、
残りの6人には自分の取ったカードの有効性があるために、
確率的に7人全員と戦うと仮定すると勝つ可能性が高まる。


ドラフト以外に100人以上が参加するトーナメントマジック、
その戦略にも日本式とアメリカ式では戦略が全然違ってくる。
日本人はインターネットで調べた前例の優勝デッキをコピーする。
インターネット以前は雑誌媒体でやっていたわけだが、
このコピー戦略以外にも日本式と思われる特徴はハッキリして、
ゲーム中の細かい戦略の話で申し訳ないが、
相手の呪文を打ち消す「対抗呪文」や
相手の手札を捨てさせる「精神錯乱」といった、
まずは相手の戦略を妨害することからゲームを始めて、
何も出来なくなった相手を残りの手札でどうにかする戦略が取られる。
多くのカードが存在するカードゲームの世界で、
「全方位対応」「万能」を目指して山札を用意する人が多く、
そういう人ばかりなので優勝者が決まる前から卓に同じカードが並ぶ。
アメリカ式はどうかというと、好き勝手やりたい事をやりあって、
カードの人気による多数派の確率的消去法で勝者が決まる。
少し弱点のある戦略でも人気があって参加比率が高いと優勝しやすい。
運で決まっていると言っても差し障りないと思うけれど、
日本のトーナメントの運度合いとは全然違う当たり運だったりする。


このへんを社会心理と結びつけるのはゲーマー的なエゴかもしれんが、
他人に迷惑をかけないように消去法的に構成された日本人感と、
やりたいことをやりあって、喧嘩の引き分けで形成されたアメリカ感、
そういう民族性の専門家ではないけれど、
ゲームの戦略の一端から読み取った情報から得たひとつの推測です。


マジックギャザリングの世界で一部の人はアメリカ式を取り入れて、
そういう界隈とゲームをしたり食事をしたりすると、その話題が出る。
ゲームは分かった、じゃあ人間関係はどうだ、となると、
欧米式を取り入れていると、よく言えば自由人なんだろうけど、
日本の風土からすると慎みが無くて強情で、ともすると欲張り、
などなど、自分のしたい事のために正直なタイプにとられるだろう。
アメリカだとお金持ちは丸丸太って食べたいだけ食べているけれど、
日本の食卓だと家族で大皿を囲んでもお肉は互いに遠慮したりする。
アメリカ式が良く見えても、日本人全員がアメリカ式になると、
まだまだ困った事がたくさん出てくるんだろうと漠然と思います。


帰国子女でアメリカから日本に来て馴染めない人がいる中、
アメリカからの旅行者でも日本式に見よう見まねで馴染む人もいる。
国交ができても人の往来はまだまだ少ないし、距離もあるし、
互いに不満が無いところまで相互理解が出来ないのも続くだろうし、
アメリカ式を勉強した分だけ僕は日本からすると異端になっちゃうし、
ブログで人にアメリカ式を教える前に日本式をもっと知るべきかも。
そう落とすと、ちょっとつまんないだろうけど、
あ、なんか、いつもの空気感に文体が戻ってきたので、
今日はこのへんでー。


家族の話はどこへ行ったのか。


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