盗人にも三分の理

三分の理―ふろしき同心御用帳 (学研M文庫)

三分の理―ふろしき同心御用帳 (学研M文庫)

このブログをウォッチしてるとウチの家族関係が良好に見えるだろう。
たしかに近ごろのウチの家族関係は父子も姉弟もいいんだけれど、
親父とお袋は事実上の離婚、別居状態にあるし、弟は音信不通だ。
祖父母とも存命の時は7人家族でその時の家の状態はいつも喧嘩で、
僕が小学校の低学年くらいまでは幸せだったはずなのにな、
いつからそんな風になったか思い出すと、弟が出来た頃くらいからか。
末っ子の甘えん坊に育った僕は年子の弟が出来てから突然、
「お兄ちゃんなんだから」で何もかもの我慢を強いられるようになって、
それ以上詳しく説明しても思い出しても何もならないだろうけど、
中学の終わりから高校の頃なんて家に帰るのが嫌でゲーセンに居た。
ゲーセンくらいしか居場所を見つけられなかったんだな。


そのゲーセンで知り合った大人であったり年上であったり、
そういう人々との接触で得た社会通念みたいなものがいくつかある。
学校以外の社会を知らないものだから、そういう話を素直に聞いた。
このへんで染み付いた考え方を何年も勉強し直してよくよく考えると、
「盗人にも三分の理」という言葉がしっくり来るんだろう。
みな、ゲーセンで遊んでいるが別の社会も持っていて、
それぞれにリクツや言い分がある。
けど、そのどれもが自分自身に好都合な論理で固められている。


育ててくれた親に甘えて反発して、場末の盗人の甘い言葉に騙される。
僕自身の自己矛盾の多くが坊ちゃん育ちとゲーセン入り浸りの、
あまりに生活圏の違う人々のリクツに分断された理念に由来する。
最近は遠出をする時は身なりを整えて、その街のゲーセンには行かない。
ゲーセンに入らないようにするだけで街の見え方が変わる。


家族連れでショッピングモールのゲーセンには行くんだけれど、
その中で姪と甥がひとつひとつのゲームにだんだん飽きる様を見て、
それでいいんだと安心しているようなところが気持ちの中にある。
自分の生活にはゲーセンは無くても大丈夫なものになったし、
(家に居場所があるからね)
街で外食しなくてもスーパーの寿司や弁当で結構なんとでもなる。
料理は台所が物置みたいになってて何年も使ってないんだけど、
そうだな、そのへんの整理からでも手を付けたほうがいいんだろうな。

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