功罪

われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る

われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る

コンピュータ将棋研究者として今年はとても大きな節目でした。
プロ棋士界トップの米長邦雄さんを将棋コンピュータが打ち負かし、
そして年も開けないうちに、その米長さんがこの世を去ってしまわれた。
コンピュータを使って負かしたプロの方が亡くなった訃報を聞くと、
間接的に殺してしまったような後ろめたさが残るんですよね。


それも、撃ったら死ぬと知らないで銃の引き金を引いてしまったような、
プロ棋士の皆さんには永遠に超えられない高い壁であって欲しかった。
憧れのプロレスラーに「何でも来い」言われて鉄パイプで殴ったと。
そりゃ、何でもって言っても限度があるよな、という感覚です。


訃報はローソンで読んだ週刊将棋で知りました。
週刊将棋を読んで前に作ったMSDOSの将棋ソフトのことを思い出し、
MSDOSの将棋をmacターミナルで動くようにするため机に向かい、
おもにコマが日本語SHIFT-JISなのでUTF-8バイトコードにするのに、
また盤面が等幅フォント必須なのでマシンの設定をメインに弄りました。
コンパイルAPIなしのC言語なので僅か数行の変更で通りました。


短くまとめたいけれど長文覚悟で将棋との出会いを語り始めると、
小学校の頃転校生のM君に借りた小学館の将棋なんでも入門という本で、
あとから分かったことは僕に入門書を貸してM君は初段への道という、
すこし上の本を読ませればM君が勝つだろうとM君のお父さんが考えて、
M君に僕を将棋に誘って入門書を渡すように仕向けたことだそうで。
しかし現実には僕はM君には負けなかったし、負け方も知らなかった。
すぐに相手してくれる人は誰もいなくなって、風邪になった時に、
病院の待合室に1冊だけある手筋の本を熟読してまだ見ぬ相手を夢見て、
親父が入院したとき同じ病室のお爺さんが将棋好きでよく指しました。
あとはファミコン本将棋森田将棋をお座敷でずっとやってました。


ファミコンで将棋を覚えた僕はコンピュータ将棋の印象は相当に良くて、
プロ棋士がコンピュータを負かすという話には心底から憧れたものだし、
プログラムを覚えたての頃はいつか自分もコンピュータ将棋を作りたい、
何からどう取りかかっても良いかわからず、漠然とそう思い描きました。


将棋が好きかと言うと、M君と遊んだ意外には数えるほどの記憶だけで、
病院で本を読んだり入院中に指したりと何かこう不健康なイメージで、
高校の頃になるとサッカーのほうがずっと面白いと思っていたような。
「いつかやりこみたいと思っているんだ」と永遠に先送りした趣味です。


ハチワンダイバーを読んで熱が上がったのと週刊将棋棋譜を読んで、
パソコンにはいつも向かってるんだけど、その中に将棋を入れたこと、
これで気が向いたらいつでも将棋の研究に取り組める用意をしたこと、
そうやって、ちょっと取りかかって考えながら長風呂するのがいい。
プログラムの研究と言うとテストコードやデバッグツールの自作など、
きっと確実な研究成果のための準備は色々とあるのだろうけれども、
趣味との境界が曖昧な研究において頭をいっぱいにして想像する時間は、
これこそ将棋の醍醐味と同じではないかと近ごろの考えです。


オチは先に書いたSHIFT-JISとUTF8の変換の話な(最後とちゃうんかい)
(写真はターミナル将棋の開発風景、MacBookPro13インチまだ現役)


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