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今日もラーメンライス
雪が降っていて天気の話から雲の話になり冬の空について。
「秋の空は高いって言いますけど冬の空の特徴ってなんでしょうね
 雲が水蒸気が冷まされて水になって出来る事から考えると、
 冬のほうが気温が低いから秋より低い位置に雲ができる、たぶん」
というと
「それは”たぶん”じゃないよ」
「たぶんは口癖なんです。実験して立証したわけじゃないから」
僕は想像や思考で語る事が結構あるので(パソコン部屋で暮らすから)
テレビで見た、新聞を読んだ、ネットで見た、そこから考えた、
となると確かな情報など何も無いわけだから、そこから推察しても
「たぶん」と言わざるを得ない。責任を持って発言するなら実験したい。
もうひとこと言いたいが会社業務に触れないよう、ここでおしまい。


僕が「たぶん」をつけるので発言が無責任だという人がいるのは分かる。
だけど、確証もないのに断定で話す人のほうが無責任だと思っている。
もっというと、ウソだと知っていて断定的に話して騙す人は悪い人だ。


僕は20歳の時に金髪にしていて電車でお年寄りに席を譲った。
別の年寄りが言う
「それは何もかもが正反対だよ。
 金髪にしていると行いが良くても悪く見られるじゃないか」
あのころの自分からすると、どこにでもいそうな悪い大人に近づいた。
そして今から金髪に戻すと津田大介と間違えられてしまい、不本意だ。
きっと、これからは語尾の「たぶん」を直すだろう。
それから、信じていない話でも面倒だから「そうなんですね」も直す。
給料泥棒になったとも思う。


そういえば昨日の朝日新聞にコンピュータ将棋の記事があった。
毎日新聞でなく朝日新聞に将棋のことが載るのは珍しい。
これはたぶんではなく、確実にそうだと言える。なにかが変わっている。


ちょっと書きたす。
金髪のヤツが悪いヤツだと言うのは金髪の良いヤツがいれば入れ替わる。
しかし夏に暑くて冬に寒いのはそうそうのことでは入れ替わらない。
室温だったら冷暖房で入れ替えることが出来る。
20歳の自分は世の中の固定観念を何から何まで入れ替えたかったんだ。
それは入れ替え可能だと考えた、その根拠はコンピュータプログラムだ。
同じコンピュータでもプログラムを入れ替えると全く違う動作になる。
人も同じ生まれでも思想の違いで全くの別人になって行くと考えたし、
今既に暮らしている人の思想もすっかり交換可能だと思い込んでいたんだ。
ちょっと極端だったんだと今から振り返る。
コンピュータプログラムでも大規模になるとそっくりは変えられない。
傘の柄が鉄製で曲がってしまった時直そうと反対に曲げて折ってしまう。
このあたりが金属の塑性によるものだと分かり始めたときから、
人の考えも外から無理にやると壊れてしまう。
それにもかかわらず変える方法はあるという根拠の無い確信が生まれた。


もうひとつ書き足す。
おおむねほとんどの人は到底信じられない現象を目の当たりにすると、
自分の思想のほうでなく目で見たことや聞いたことを嘘と信じ込む。
これは心理学の古典から現在まで長くに渡り知られていることらしい。
そうすると、僕のやっていることは人に信じられないことを見せて、
思想を変えるのではなく現実を信じられなくしたことになってしまう。
揺るぎない現実を見せているのに嘘つきの噂が流れてしまうことがあり、
人の噂も75日で派遣の期間は90日という絶妙なバランスで、
あちこちに行って嘘をついて追い払われているという世界もありそうだ。


たとえば1日の仕事量で「デバッグが256倍早くなる」の著者である
やねうらお先生はノートパソコンで1日1000行プログラムを書く。
普通の人はそれを嘘だと思う。僕は実際に会ったことがあって信じてみた。
1000行は質によりけりだけど、300行くらいは自分でも書ける。
しかし世の中の技術者さんは出勤して1日3行書けば良いほうと言う、
そういうレベルで成り立っている業界もある。
それでも会社に20人くらい居れば1日60行で1ヶ月で千行になる。
つまり、やね先生は1日で会社全員で1ヶ月の仕事をこなす計算だし、
僕も大阪ガスの研究所の人が1年かけた仕事を3日で終わらせた。
プログラムの工法がどうのとか指の動きがどうのとか、その問題でなく、
こんなことブログに書いておいても誰も信じないのが普通だと思う。
そして、だからといって実際に現場を見せると精神病になる人が出る。


最後に、なぜギターの弾き語りの変な動画をアップしているかについて。
楽器や音楽の道は子供の頃から音楽家の家に生まれ育った人しかなれない、
ということを方々から耳にして、ならば覆してやろうとピアノを弾いた。
そうすると「子供の頃からやってたんでしょ」と信じてもらえない。
だから今度はギターをはじめて、はじめたすぐの下手な頃からビデオに
撮っておいて、それが段々上手くなって行く過程を見せてやろうと思った。
もちろん歌やギターに元々興味もあったからできるというのはある。
しかし最近はYouTubeの履歴に何時間くらい見られたか、が記録されて、
大抵の人は下手な演奏だから30秒も見たら我慢出来ずに消している、
ということが分かる。
僕がテレビに出るほどもし上手になったらスターとして過去は消えるし、
上手にならなかったらそれは仕方ないし、最後にもしテレビに出なくて
上手になったとしても、元々はじめたのが30だったという最初の節は、
大方の人にとってもうどうでも良いことになっているだろうし、
そんなことのために人生時間を使うのも3年目でバカバカしくなってる。
もう何もかもあきらめて怪傑ズバットの再放送でも見たほうがきっといい。