忍法ふかしタバコの巻

休憩時間外にタバコを吸いに喫煙所に行くと掃除のおばちゃんから「あの子さぼってタバコ吸うてるわ」と偉い人にチクられる。


朝のポツポツ雨でサークルKで傘を買い会社の傘立てで勢い良く閉じると持ち手が取れて直らないのでそのままゴミ捨て場のフタを開けて捨てる。そして昼休みにコンビニ弁当と一緒にまた傘を買うとその事が京都の町の噂話に。俺はカバンに折り畳み傘が入っていても雨が激しいとコンビニで傘を買う。京都の人はコンビニで傘を買わないのだな。


昼に買ったセブンイレブンの傘は丈夫で計算通り帰りには土砂降りになっていた。傘の持ち手にはAPOと書いてあるのだ。メーカーなのか何なのか知らないが小さい頃母親が俺にアホと言ったとき「学校で先生がアホって言ったらいけないって」「じゃあアッポだ、あんたはアッポ」というのを思い出して壁にグーパンチして拳が痛いので、やっぱりセブンイレブンの傘もダメかもしれない。学校で先生に言われなくとも親が子にアホだのアッポだの言うのは最低だわ。俺は子供の頃は親に失敗を見つかるとアホと言われるので友達の失敗を見てアホだという嫌われ者だったが、アホと言っても失敗の原因や成功する方法を伝えないとその状況は改善されない。それからアホとは言わないが嫌われ者なのは直らない。誰かの失敗に託つけて(かこつけて)アホだと罵倒して優越感ゲームをするくらい単純な方が瞬間は嫌われても長期的には受け入れられるのかもしれない。瞬間の人助けが相手の自尊心を壊して長期的には嫌われる、ということが心理学的な現実なのだ。


掃除のおばちゃんは俺のタバコはチクったが、また廊下で俺を見つけると雑巾で壁を磨いているフリをする。ビルはどこも汚れていない。それは毎日の掃除の賜物でもあるだろうけど、どこも汚れていないビルを磨くのも辛いだろうなと見て取れる。


先日には母親のマンションに行って、俺はもう母親をどう扱って良いか困っているのだが、茶を入れるのに抹茶の茶道具を使って「おうす」を入れてやろうと言うものだから、どうせ俺の頭がうすいと言いたいのだろうと腹を立てると、今度は泣きそうな顔になる。分からないように悪口を言うのが上手な人間と付き合っているから、子供の頃には分からなかった母親のイヤミが全て読み取れる。知らない方が幸福な事がある。イヤミばかり人に言って喜んでいる所を見ても、母親の生活もそんなに幸福ではないのだろう。分からないようにイヤミを言う京都人は京都の仲間同士で部外者に分からないように通信するためにそうするのだが、うちの母親は2人きりの時に京都の人の口をつくのでケンカを売っているとしかいいようがない。京都地下鉄で女子高生が2人で分けの分からない話で笑って、それが俺の悪口でも全く仕方ないと思う事はあるが、ウチの母親は男に使われ女にバカにされるタイプなのだ。俺も母親の所に行くのはタダで飯が食えるからというのが大きい。田舎育ちの母親が工場勤めで里の異なる俺の父親と結婚して旦那の家やその近所に溶け込めず、熟年離婚して(籍は外していないが)住まいを変えても過干渉で嫌われるのは同じなのよな。都会に憧れても本質的に都会人にはなっていないのだ。漬け物を食べて茶を飲んで無駄話で日を暮らすのが、高価なお菓子と紅茶になった所でやはり家で大家族の女衆での台所仕事と変わらない。都会人の特徴は表層的な付き合いと腹を割った話の区別が無い所だろう。田舎者は都会的な振る舞いを上京してから体得しているのでその内面に田舎者としてのハラがある。都会生まれの都会育ちは学校や会社での立ち振る舞いが本質であって家庭では仮面的でハラは無い。学校と家庭でキャラを区別しなくて暮らせるヤツは素直で能天気だが、そんなやつでも暮らして行けるほど都会には居場所がたくさんある。


ゲームの開発と言ってもタバコは我慢出来ない。初日はタバコの事など忘れてプログラムを解剖していた。3日という時間の慣れの恐ろしさだわ。俺の生活もそんなに幸福ではないのだろうか。他人事に気を患うほど自由な思索の時間があることは幸福の必要条件はほとんど足りているはずなんだが。あとは気の持ちようだ。それでも、仕事ではなく家庭の幸福の欠落が根本的に幸福感が得られない状態なのかもしれぬ。


人を笑わせるために書きはじめたが、途中からは完全に自分の考えの整理に変わっている。読み手がいるとなると、いよいよ書きにくくなるのだが、こればかりはやめると、後からさらに大きな後悔を生む。ブログもコンピュータ好き同士にしか分からない電気通信なのだ。顔を合わさなくとも、わかるでなくとも、受け取ってなんらか情報交換がのぞめる相手がいると言うのは生きやすい。