規範

プログラミング作法という本があって、原典か類書か良く知らんが、とりわけC言語というプログラム言語は数学の代数の要素を取り入れていて数や数式に自由な命名が出来る。順序がおかしい。C言語の代数や関数は自由に命名出来るからプログラム言語の他に命名規則の本が発表されて、それがプログラム作法というようなことになったのだろう(俺が生まれて勉強した順番からすると反対になるので、俺の文章がいつも縺れているのは宿命と言う他無い。プログラムも法律も決まり事は大抵そう言うものだ)


それで作法があるので企業のプログラムと言うのは作法を学んだ人の集団が全員の作法の最大公約数のルールで作っている。俺はルールを破っても死なないようなものなら無断欠勤して遊園地に遊びに行くような事もする性分だからプログラムの作法なんかも知ってはいるが面倒だと守らない。作法なんか守らなくてもプログラムは動くし、作法を守っても文法が違ったり論理的矛盾があると正しく動かない。そっちを守るのが先決だと思っている。


しかし、ルール破りも限度があって全員ルール無用になると統率が取れない。特に俺の無作法を悪い所だけ新人が真似してしまうことで問題は起こる。だから何かしらのルールがまた出来上がる。即席チームだからこそ、そういう溶け合ってまた固まるような組成の期間が必要だと思っている。ルールに縛られると運用は出来ても新しいものは作れない。


ルールは規則のことだが規範というのも似たようなもので、誰かが作ってそれを良しとすると真似が常習化してルールとなっていく。ないがしろにされると腹が立つが後輩から規範とされるのはそれはそれで迂闊に悪い事が出来なくて困るものでもある。プログラムの引き継ぎなどすると前任者が「お見せ出来るようなコードでは無いのですが」などと断る。それでも規範ははじめは無いわけだし作法だけでもモノは作れないので、どうしてもお見せ出来ない内部構造の製品と言うのが通例になってくる。


そんな中で手前味噌な話ではあるけれどファミコンのプログラムと言うのは規範になるものがある。何故なら移り変わりの激しいコンピュータ業界でファミコンは同じハードで何年も開発が続くので時代遅れになってもロジックを煮詰めて組み込まれた製品が開発されてきたからだろう。ハードの進化とソフトの進化が両輪となって進んでいるコンピュータ業界にハードの進化を一時停止する事で規範が生まれるのは面白い現象だわ。