それって「読み」なの?「勘」でしょ


連日ストリートファイターの話が続きますが、スト2全盛期に機関誌ゲーメストでよく扱われた「読み」について。


波動拳を読んでジャンプを始めると、波動拳のスキにジャンプキックが決まり昇竜拳が間に合わない。しかしフェイントに引っかかって波動拳を撃っていない相手にジャンプすると昇竜拳で落とされてしまう。ストリートファイターは読み合いの勝負だ。というのが原罪。


ゲーム好きなら将棋や囲碁はたしなむものとして、将棋の読み合いとは何かと言うと、駒を取ったら取りに行った駒が取られる。取りに行くのが正解か、素直に取られるのが正解かというところが3手読みとして、読みの言葉の源流だと考えられる。ひとつの手の先を何手も先まで読む、3手読みを色々の手に対して試みる、などして、将棋は手を指す度に考えるゲームだ。


では、波動拳を読むとして、その根拠は何か。ストリートファイターはアクションゲームなので、いつでも好きなように技が出せる。将棋は手を打つ度に好手が反転するので、純粋に手番に取れる行動が自分の駒を動かすことに縛られる。この差は大きい。


たとえば、睨み合いで少し焦らすと我慢出来ずに波動拳を打つ。その間隔が大体2秒だとする。そうすると、攻守を緩めて2秒してからジャンプする。上手く行ったとする。これは相手の思考モデルを作っていはいるけれども、行動観察以外の根拠が無いので、相手はいつでも3秒待ちに変わるかもしれない。


読むとは、もっと思考を制限するルールの上で先々まで考えを巡らすことではないか。つまり「2秒待ってジャンプする、何故なら相手は前にも2秒待つと波動拳を仕掛けてきたからだ」という論理であって、これは読みというよりも勘だと言ったほうが言い得ている。


ほとんどのゲームプレイヤーはストリートファイターの技を知り尽くしているわけではないので、連勝するようなプレイヤーは得てして、相手がどう返していいか分からない技を連発して勝っている。それは読みの深さや勘の鋭さよりも情報戦で勝っていると言って良いし、また情報戦であることすら知らないプレイヤーのほうが一般的だと言える。


これはインターネットが普及して、ネット対戦やネット観戦が一般的になってから、連勝プレイヤーが相当な数を駆逐されて、また情報誌自体が部数を減らして、結果論的ではあるものの、正解だろう。


ネット以前の対戦は情報誌が有用であったし、情報作成の1次産業的な要素を持つ東京はハイレベルであった。そしてそれは過去形になった。


自分の土俵に話を持って行くと、コンピュータ将棋は13手読みを15手読みにするためにコンピュータのメモリや処理装置をどう増設するか。東京大学ではコンピュータ並列処理で台数を何台にするかというような議論がなされる。ストリートファイターの読みって、そんなには深くないと思うのよ。


比べると、ストリートファイターの思考というのは「これから先に何が起こるか考えるため、相手が今まで何をしてきて、それがどういう思考モデルから繰り出されたものかを推察している」にとどまり、相手が最初から意図的に間違った動きを繰り出していたり、対戦中になんらかの「気付き」を得ることで途端に作戦は成功しなくなる。そして、それは深く読んだつもりでも、あまり考えていない相手に負けることがある可能性をも示す。


それゆえ定跡化された手順以外の勝ちは注目されるし、そうやって勝ったことが運否天賦の1回限りでなく、2度の成功を収めたウメハラ氏は脚光を浴びるのだろう。しかし相手は「そんなところで昇竜拳を繰り出すとは思いもよらなかった」が正解であり、繰り出すということが計算に加味された今では、やはり対戦において常勝は不可能で、ストリートファイターはギャンブル性の高いゲームだという結論に帰着するのではないでしょうか。