それって無くならないモノ?


写真はチョコレートクッキー(特に意味は無い)


MH4を8時間54分でテツカブラ狩猟してイベントの台詞全部読み終えました。120時間やって、もうクリアしたとか読むと、そりゃそうだろうと思います。ドラクエだって3日で解いたといって、徹夜で72時間とか言われると、起き続ける体力はすごいとしても、そりゃそうだろうと思うわけです。時間をかければかけるほど何か有利になっていく仕組みがあれば、暇な時間と取り組む時間が長いほうが有利になり、ネットゲー黎明期に参加しない人の言い分は決まって「暇人に勝てる要素が無い」でした。


だから、この手のゲームを遊ぶ時は何かの成果を所要時間で割って、同じことなら少ない時間でやったほうの勝ちだと思うことにしています。しかしまあ、よくよく考えるとマップのどこに薬草が生えているかという情報を探した人、探すのに時間をかけた人と友達の伝手やネットで情報を得た人で、探した人のほうが劣っているとも思えないので、この尺度は間違っているかも知れません。それは差し引いても、同じことを繰り返すと有利になる(特にMH4の場合は防具の強化)ならば、その繰り返しの少ないほうが高く評価出来るとしましょう。これは尺度として。


防具を強化して倒すということは、結局はダメージを負っているのにセーフにしている、という難しさの緩和です。回復薬をたくさん持つのも似ています。(回復薬のほうが防具より簡単に収集出来ます)だからモンスターの攻撃を避けるのが上手くなれば防具は薄くても倒すことが出来る。長い時間遊んでいても、避けるのが上手くなっていないと、ゲームの中のキャラクターは強くなっていても、腕前は上がっていないというのが論点です。ゲームの腕前自体をどうでも良いとしてしまうと、この論理は成立しません。


しかし、ゲームセンターのゲームのように上手だと長く遊べて、下手だとコインを失ってしまうというものでも無いので、買ったのにクリアするとか先の面を見るとか出来ないより、簡単にしてでも先に進めるほうが良いという論理もあります。俺は小学校のときにゼビウスというゲームをファミコンで遊んで、雑誌に載っている無敵になる裏技をためし、途端にゼビウスに飽きてしまいました。ゲームは負けるから、面白いのだとそのとき気付きました。


それでも、30歳の時にまた復刻版のゼビウスを遊んで、ボスを2回倒すまで一度も死なずに遊べるようになって、自分が成長したような実感を得たこともあります。その間にも似たようなゲームでたくさん遊んだから、自然に弾を受けないようになっていました。


その間に、スーパーファミコンドラゴンクエストIIIをレベル99まで遊んだのに、電池切れでデータが消えてしまって数日食事の味もしないほど喪失感に苛まれたこともあります。今まで何だったんだろうと思いました。近ごろはゲームの記録は電気的でなく磁気的に半永久保存されるので、そういう心配はあまりしなくて良いのですが、はじめから興醒めしている部分もあります。そういうゲームでは、世界樹の迷宮というゲームが最近でいちばんハマりました。


総合すると、ゲームの記録としてデータを蓄えたものより、自分の中に残っているノウハウのほうを信用するようになって、今に至ります。それをまたブログの形でデジタルに毎日保存しているのが矛盾点ではあります。はてなダイアリーのサーバが消えたりするとまた喪失感をもつのでしょうか。これはもう、今まで読んでくれた人の記憶に残ったり、二次情報となって印刷物になったりしたから良いと納得する他ないでしょう。


モンハン3rdを一緒に遊び始めた友人は1600時間費やしたらしく、それから音信が無いのですが、新しいMH4が出てどうしているか心配です。また装備も何も奪われて丸裸から、もういちどボスモンスターを倒すまで取り組めるのでしょうか。モンハン2PSPのときはモンハン2Gに装備を転送できたらしいです。古くはパソコンゲームの黎明期にウィザードリィというゲームでシリーズ作でキャラクターを共有できました。


大事にしているものは簡単に無くなってしまわない丈夫なものでしょうか。モンハンに限った話でもなく、そういう事情なのです。またドラゴンクエストIIIを最初から遊んだこともありますが、その時は船に乗って世界中旅に出れるようになった辺りで、そろそろ充分だなと思ってやめました。そのへんが俺がモンハンを最近では悪くないと思いながらも没入しきれない点なんですよね。

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