消化し切れてない感


20代くらいまで全能のレオナルドダヴィンチに憧れて無駄に色々と色気を出してやっていました。ゲームを全部作りたいってのも一因。そうして活字の本の他に漫画の書き方や音楽の本など買ったものの暇が無くて放っていたものが部屋にまだまだあって、ちょっと消化していかなきゃ。部屋のもの全部消化するのはもう諦めてます。現在35歳。


マンガの本は少なくて多いのは音楽雑誌。絵はね、描く人はパクリの元ネタになる資料がたくさんあるものですよ。音楽は本よりレコードや楽器や機材の方が大事だと近ごろは思うんですけど何でも本から入っちゃう。


まあ、俺の話はどうでもいいですね。そういうとブログのちゃぶ台ひっくり返してますが。


日課のマブカプ2はアイアンマンの永久コンボを練習している間にポイントが溜まってキャラが9割揃いました。使いたいのは出そろって飽き気味。マグニートとかアイアンマンとか空中コンボを突き詰められるキャラを練習するくらいかなー。56キャラって、もうタイプが出尽くしてるよね。ザンギエフ・ハルク・コロッサスとか被ってるのでチーム組めるくらい。全キャラ出す前にハイスコアの伸びしろが無くなってきました。充分おなかいっぱい。よく遊んだ。


国道沿いの丸亀製麺のうどんが細く柔らかくなったんですよ。コシがある讃岐うどんを食べたいのに何だか物足りない。きっとアンケートとかでクレームがついて味が変わったんだと思います。大多数の人が美味しいと思って黙って食べていてもアンケートなどは積極的に声を上げる人の意見を聞き入れる。顔見て旨そうに食べてるかとか、そういうのはフランチャイズチェーンには取り入れられない情報なんだろうなと。民主主義というものもおおよそ、そういうことではないのか。ちょっとウドンから大風呂敷に言ったが。


疲れているのか、本当にそうなのか、だんだんゲームがどうでも良くなってきた。家にいる時もゲームをする時間よりテレビでドラマやバラエティを見る時間の方がずっと長い。そこまで俺はゲーム漬けではないのだ。


俺が小学校の頃はファミコンは社会的悪だった。俺の楽しみはゲームだけでは無いがファミコンの話をすると大人が押さえつけようとするので反作用としてゲームを持ち上げるベクトルが強くなり、そういう枷が無くなった時にゲームを持ち上げていた強いベクトルが暴走して俺の人生を歪にしたのだ。


だんだん歳を取ってバランスが取れてきている。これがコンストラクタル的な流れで説明出来る俺の人生の流れだろう。


子供の時に蓄えたエネルギーは既に発散して、日常の楽しみを犠牲にしてまで新しいゲーム作りに打ち込むほどの流量がない。チョロチョロとくだらないミニゲームなら作れるし、開発予算に当てるべき貯金はゲーム会社の株に投資してしまった後だ。そして今あるゲームを遊び切るハングリー精神も無い。満腹食ってタバコを吸ってテレビを見て、付き合う相手もドラクエストリートファイターの区別も付かないような人だ。


だがブログに文字を打ち込むエネルギーはまだ残っているのか流れ込んでいるのか、少し何か見抜けていないものがある。逆流はできないから、何かしらの形で下流に流してやがて蒸発して雲になって源泉に雨を降らす。ここまで抽象的になるともうわからない。ゲームへの情熱は水流でないから蒸発もしないかもしれない。あくまで例え話だ。そして自分自身が水か河の溝なのかも良く分からない。お金の流れで言うと一見動きは完全に止まっている。ゲームに電源を入れて遊ぶと言う事が流れに何かしらの効果を生んでいるのか。マブカプ2はゲーム内のポイントで新しいキャラが買える。それまでは遊び続けるだろう。全部買ったらゲーム内のお金の動きまで止まるだろう。あるいはハイスコアが伸びている間は更新を目指す。それもやがて自己ベストが抜けなくなって止まる。そうすると、エネルギーはまた行き先が見つかるまで蓄積され、やがてどこかの壁を崩すのだろう。今はそういう時期であって、一見止まっているからといって終わったわけではない、というのが理論から演繹的に生み出されるビジョンか。やがてどこかに流れるという程度のことしか今は分からない。