きゅうかつをじょする【久闊を叙する】
無沙汰をわびるあいさつをする。久し振りに友情を温める。
久しぶりの友人から電話をもらい話がはずんでいると、MacBookの国語辞典壁紙が知らない言葉を出してきた。久闊を叙する。「なんじゃこのパソコン俺らの話わかっとんのか、怖い!」てなことが時々あります。
今日のドラクエ(フライングして日曜に書いてます)はコマンドやメッセージのウインドウをビットマップで仮絵を貼っていたのを本格的に文字で表現するのにフォントのリソース埋め込み作業などしています(フォント手打ちに比べたら公開してくれている人に感謝)
月曜はそうだな、ウインドウをクラス化して作りたいけどラベルもテキストボックスもキレイに出ないのでHTML/CSSで作ってブラウザ窓で表示というWebテクノロジー満載(どこがじゃ)のUIを作り始めてます。写真のようにけっこうキレイに出てます。
VisualBasic2010で作る以上は基本機能だけでなるたけ片付けたいと思って始めたのに、出来映えを考慮するとどんどんマニアックなコーディングになってしまって、これは誰のためにやっているのか分からなくなってきたぞと。もちろん自己満足のため。上手く出来たら生意気にも手本としてネットでソースごと公開とかも考えてたけど、まだまだ先だわな。
あとファミコン版ドラクエIIをアマゾンで「ぽちくり」しました。過去の借りパクをいつまでも根に持つより気が楽になるだろうと。出費は少し痛いけどね。
戦闘が意外と難航。メッセージを次々に出して行くのだけれど、HTMLで書いているのでスクリプティングが面倒。自分でも考えて行けば同じものが作れる事が分かっているのに本を買うのは勿体ない。本当にそうだろうか。時は金なりで本を読む事で同じことを先に考えた人から時間を拝借できる、とする考え方もあるのではないか。
コンピュータの登場で物知りの価値は下がったと言われた事があった。しかし、誰もがコンピュータを持つこの国で人の悩みは尽きない。「何をコンピュータに尋ねるべきか」という問題で、大抵の人は寂しさにコンピュータの先の人間を求める。
なんで今作るのにファミコンみたいな画面にするのか不思議がる人がいる。懐かしさを楽しむために昔と同じ形を保つ必要がある。そこだけは頑固にこだわっている部分。
プログラムの管理者に手が止まっていると怒る人ってのがいて、自宅だと好きなだけ考えながら作れるのがいい。会社勤めだと管理者はいるし日報はウソでも進んでいる報告をでっち上げないとイカンし面倒が多い。そのかわり毎月給料がもらえて作ったモノを売り歩くような事はせず、制作や開発や研究に回れる。そのはずなのに開発の管理者が進捗をでっち上げでよろこんでいるというのは何ともな。まあいい。イヤならやめれば良いし実際やめたんだから。
とにかく今は戦闘のシーケンスを考えなくては。シーケンスは和訳すると連続や順序を意味するらしい。プログラムのシーケンスってもうちょっと二次元的なんだよね。行ったり来たり戻ったりで順序が一意に定まらない時にどう制御するかという。
それはそうとして相手は8ビットだぞ。何を手こずっているのか。