Huカードの時代


俺は実はPCエンジンのHuカード(ヒューカード)をコレクションしていたことがあって、写真は左から奇々怪々・レインボーアイランド・最後の忍道の3本。テレホンカードサイズなのでテレカケースにファイリングしてあります。


この頃のゲームはひとつひとつ世界観があったな。そして俺自身の気持ちとしてもゲームを買ってクリアする繰り返しの中に征服欲を満たしていく建設的な気持ちがあった。パソコンを買ったあとも古いゲーム機のゲームを集めるのをやめなかった。この頃の気持ちを取り戻せたら毎日の張り合いの無い感じが救われる気がする。


文章にまとまらない様々の考えが頭をよぎる。書いては消す。


何かこの頃は面白かったよな。その本質は何か、今の時代にその気持ちは再現出来るのか、ということを考えている。ああでもない、こうでもない。単なる懐古だろうか。


最後の忍道だと主人公の忍者は小太刀のほかに爆竹や鎖鎌を使って戦う。それがサンダーフォースの武器チェンジのようにカーソルがピコッと動いてコンピュータ的な操作感とドット絵のリアルな忍者と絡み合って、自分はコントローラーを握って世界を忍者を通して操作している。その忍者への指示にカーソルというデジタル的な被せものがある、そういうどこかデジタルでリアルを制御する感覚が面白いんじゃなかろうか。


この感覚は洋ゲーに引き継がれている部分がある。リアルな銃撃戦の戦場は第二次世界大戦を彷彿とさせるが、デジタル的な自動照準や俯瞰的なレーダーマップが表示され、リアルを操作する人間の目にはデジタル的な情報が付与されている。ドラゴンボールの世界にベジータが来たときスカウターを使っているのと似たような感覚だろうか。


ただの懐古でなく、PCエンジンの時代のゲームには何かアツくなるものがあって、メガドライブのそれとはちょっと違って、そしてそう言う感覚を最近のゲームで味わえない。探して出会ってないだけであるのかもしらんけどな。そこまで分析すると、それはゲームでなく趣味実用アプリなんかにも活かせるわけで、さあ、何か作ろうか。


古いコンピュータのピコピコ感はデジタルの象徴であって、解像度が増えてリアルとの境界が曖昧になった時代にデジタルを想起させるガジェットが載っているインタフェイスを被せるという、良くある手法なんだけど、そういうものはPCエンジンの時代に気付いている人は気付いていたんだろうなと。


なんとか文章にまとまったか。そうでない面白さもまだまだPCエンジンの世界に残っていると思うので頑張って掘り下げたい。


エミュレータの話を前に書いた。それでエミュレータの何がいけないかというと、日本のカセットからプログラムを読み出してファミコンのゲームをパソコンで遊べるようにして中国のホームページでばらまいている、ということが起こってるんですよ。


ファミコンは古いし壊れるから、パソコンで遊べるようにして何が悪いねん!と建前としてはそうなんですけど、本音としてはゲーム屋が儲かってそうだから、カセット吸い出してばらまいて皆タダで遊んだろうというのが本音でしょう。現にファミコンだけでなくDSのソフトもバラまかれて任天堂の売上げが何割か落ち込んだとか。


PCエンジンももう壊れてしまったのでエミュレーターで遊んでもいいかなと思う。パソコンで遊べると言ってもブラウン管テレビとパソコンの画面は仕組みが違うので、厳しい目で見ると何かちょっと違って、できれば実機で遊んだ方が懐かしさもあるんだけど、まあ、この際に細かい事はいいかなと。


持ってるパソコンのスペックから言うとプレステ2のゲームでもパソコン上で充分動いて、しかし「プレステ2はまだ売りもんやろ」という声もあって、DSが出たすぐくらいにDSのゲームをパソコンで遊んでいたら知り合いの間で「アイツは(俺ね)やりすぎじゃないか?」という反発もありました。みんなお金を出して買っているんだからお前も同じようにしろ、という事なんですよ。みんなって誰よ?とも言えますが。


自分でできないことで誰かが得をしていると「ずるい」と思うのは分かるけど、本当は羨ましいんじゃないの?とも思いますね。まあ、詳しい仲間のひとりからは「おおぴっらにやるな」と釘を刺されますが。まあ、WiiUでもPS4でも買って自慢して下さいな。俺は古いゲームで遊びますよっと。


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