正義と商売の板挟み

子供の頃ヒーローものを見て育ったなんとなくの正義感というのを良い年までどこかに残し、年相応に悪くなる部分もありますが、たとえば誰かがダマされている現場を目の当たりにして、ダマす事を悪と見なして助言する、ということが果たして正義になるのかという疑問がわいてきた。


ダマすと言う事は悪事だと定性的に決めてしまうのは簡単だ。しかし、新聞配達や牛乳配達をウチは受けている。インターネットとスーパーの紙パック牛乳で何も困らないが、それを断ってしまうと相手が食えないからシガラミで取っているのだ。相当長い付き合いになる。新聞や瓶牛乳も小さな商売ではある。詐欺と言うほど粗利の高いものではないが、詐欺師は詐欺で食っているので詐欺を見つけて一方的な正義を示せば詐欺師はどうやって生活するのか。


都会では日常的にダマされている人を見つけても誰も知らぬそぶりで通り過ぎて行く。ダマされる方が悪いかというと、決して「悪」くはなく「損」をしている程度の事だろう。俺が大阪で独り暮らしをしているとき、商店街で果物を買って、スーパーより高いが風情だろうと買ったら、しばらくしてその果物屋が潰れた。たいていの大阪人はモノを値切って買う。値切られるからはじめは高く付けてある。それで値切り交渉が街を賑わす。俺はスーパーで買うように言い値で果物を買った。店はそのほうが単体では儲かる。しかし他の客はその現場を目の当たりにして、その店が値切ってくれないと見て取って客が離れて行き、結局店が潰れたらしい。


俺は親の商売を全て知っているわけではないが、体として小売店をしている。店番を手伝うときは負けてやれと教わってきて、何かホコリをかぶったような品物を客が漁ってレジに持ってくると半額くらいの値段にする。良く回る商品は定価だけど、自分で店をしてたら捨てるか返品したいようなものでも店にはたくさん並んでいるし、半額でも店のものが減ると嬉しい。俺は手伝いをしてはいるが仕入れ値を知らないので半額で良いのか分からないが、親父は高く売ると俺の事を叱る。少なくとも店番をアルバイトにすると確実に赤字になるような、そんな人通りの無い商店街の店だ。


まあ、親父はそんなだが他の事では儲けているだろうし、親父と電気製品でも買いに行くと親父はとにかく値切る。俺はメーカー勤務をしていた事もあるので電気製品を値切るのは複雑な心境だが、少なくとも同等品なら店頭表示価格の安いものに目が行く。友人が俺の勤めているメーカー製品を買ってくれたというと、その気遣いは嬉しい。しかし給料には無関係だし、それにどういうお礼をするのが正しいのかも良く分からない。メーカーには得意な製品とラインナップのための製品があるので、カメラひとつでも自分では他社製を買ったりするものだ。


ちょと話が逸れてきたが「義を見てせざるは勇なきなり」という故事がある。しかし、これは徳治政治の時代の話であって、たとえばそれが詐欺なら見つけた人が仲裁するでなく、弁護士を立てて戦うべきだろうし、まさに今ダマされようとしている人はダマされる事で高揚して気分がいいだろう。正義とは適法というようなことでなくバランスなのだ。独り占めはいけない、困った人を助けるというような曖昧な判断基準でもって成されるもので、絶対悪や絶対善があるものではないらしい。人殺しはいけないが重罪は死刑であるという矛盾が極論として挙げられるが、やはり人がダマされているくらいの事で勇として仲裁に入るべきではないとの結論になる。


インターネットでダマされている人のブログを読んだが、おそらく当人に届かない所で愚痴をこぼしておくに止めよう。