なるべく等身大を目指して

メディアに出る芸能人はカッコ良く(あるいは芸人ならダサく)カメラに映るように計算されて作られている。独りの人間と言う偶像だけどオーディションで選ばれ、格好よく、また完全無欠でなく作られた欠点もあり、脚本家が台詞を決めてスタイリストが服を決めてと、大勢の協力者から成り立っている。


自分の事をそういうふうに見せよう、という気持ちは始めはあった。パソコンの内側カメラで、人によっては携帯のカメラで自分を撮って動画サイトに上げる。多かれ少なかれ芸能人のような存在を目指しているだろう。そういうことを止めようとしているわけでない。むしろ、一度自分で全部やってみたら、テレビが如何に面白く作られているか良く分かるだろうということ。


そうすると、ついつい長文を書いてしまうのだけれど、長く続けて読まれるためには毎日の分量が少なく、新しい事も少しずつ書いた方が良い。なんか難しい事をたくさん書いてあって、わからない単語が飛び出して、検索してひとつ知った気になると嬉しいという原理は分かる。そういう人はアタック25でも見ていれば良い。そして新聞のクロスワードでも解いてみれば新しい知識が手に入るだろう。


しかし、その方向性の賢さはコンピュータシステムに到底敵わない。小型の電子辞書が出た時に「こんな小さいのに辞書が全部入っているなんて、頭に入れて欲しいわ」と使った人はクチに出したものだ。けれど、カバンに電子辞書を入れていてもだんだん調べるクセは無くなって行く。辞書の言葉の大半は反復同意だし、婉曲表現つまり回りくどく分かりにくく言うための言葉で、平文にするとつまらない言葉か、引いて見てもやっぱり分からない哲学的な言い回しかどちらかなのだ。


わかりやすい言葉の組み合わせで内容を示す事で語は文になる。クイズ王には辞書を小説のように頭から最後まで読む人もいるらしいが、普通は本を読んで、わからない語を辞書で引きながら賢くなって行く。そのとき、ひとつの単語で引いても分からないようなことがあったなら、文章としてもはや理解出来ないだろう。噛み砕いて言えない事をヒトコトでしるそうとするのは単なる脅しにしかならない。


もちろん、脅しなのだから読み手がビックリするという効果は得られるかもしれない。格好良い芸能人が難しい台詞を言うと格好良いし頭も良く映る。しかし、それでバラエティに出て散々な目に会っているのを見ると幻滅するだろうし、バラエティでも人気の芸能人は慎重に扱われてその印象を保っているものだろう。


理系的な賢さというと、難しい数式を竹を割ったように簡単な答えにする想像を持つだろう。たしかに学校で習う数学は複雑に展開してもやがてひとつの答えが出るものだ。式で図を表す、図に書くと単純な線の組み合わせになる。そういうものは、そもそも問いが簡単で、積分に手こずっても、積分で求まるのは面積であって、面積はひとつの数字に収まる。これが二次方程式なら答えがふたつになるし、行列ならば答えは行列の縦横を掛けた数だけ答えを持つ。長さ、面積、体積、時間など、ひとつの数で表せるものを求めるから答えがひとつになっているというだけであって、数学自体が方程式のように何かをひとつの値に丸めてしまうものだけではない。


何が言いたいかというと、言葉でクルマというと意味が分かるし人それぞれ思い浮かべるクルマがあるだろうけど、クルマという言葉を辞書で引いてもせいぜいが乗用車の写真を示す程度の事で、エンジンの仕組みやタイヤのゴムの性質、歯車や油圧を用いた機構などの説明を何ひとつしてくれないということだ。


そういうことは大学でなく工業高校で習うようなことだし、工業高校を出ると工場勤めの整備士が就職先として思いつく。それで、大学生と比べてどちらが詰まっているかと言うと、俺は工業高校で機械の知識をたくさん持っている人の方が中身があると思っている。


それで、俺はスーツを着てコンピュータを手にしているが、工場でツナギを着た技術者より偉いと思った事はない。