百科全書の過ち

どうしても書きたいので1日フライングして2月15日に書いています。


18世紀に哲学者ルソーは百科全書を記して世の中の人すべてが世の中の事を詳しく知る事で世の中が良くなると信じて行動をはじめた。啓蒙主義のはじまり。啓蒙の「蒙」は「あんまり賢くない」の意でモンゴルの事を蒙古と称するのは単に表音の意味でなくモンゴロイドに対する軽蔑が含まれているんだろう。俺も黄色人種で種別的にモンゴロイドらしい。生まれた時に尻尾の位置に蒙古斑と言われる青あざがあったのよな。そんで「啓」は「賢くする事」


この「みんな賢くなれば世の中うまくいく」は現在の日本の義務教育のルーツに通じてる。ルーツは根っこのこと。根差していると書くべきか。義務教育は18世紀の啓蒙思想に根差している。


それで、これが合っているか合っていないかは、到底計り知れない。悪知恵という言葉が合って、道徳心や信仰心を持たずに計算力が身につくと人を騙して得をする計算が立つようになるからね。ひとりひとりの学習状態と社会全体の幸福度をコンピューターシミュレーションしようとすると、とても現在のスーパーコンピューターでも計算量もそうだし、どういう手だてでプログラムするか、その数式すら打ち立てられない途方も無い計算だと想像が及ぶ。


ただ、計算するためにモデル化という考え方が合って、モデルとは模型の事でクルマの模型とか見た目がそっくりだけどエンジンは積んでいない。しかし、どんな形のものか人に見せる程度の事ならうまく働く。この啓蒙と社会的幸福をモデル化するなら、世界共通の模擬テストの成績の平均値と国民総生産量GDPを比較すれば似た結果が得られるんじゃないかと。


そうすると、教育の行き届いた先進国の生産量が高いのはおおよそその通りなんだけど、さっきの悪賢いヤツが出るという部分、つまり先進国が後進国の不動産を買ったり株式を買って搾取している場合も、その搾取した分も生産量とかに含まれちゃうわけ。


反対にカンボジアに学校を作って難民を賢くすると、毎日の仕事が先進国に配当や家賃を払うための労働だと気付いてやってらんなくなる、暴動が起きるというようなことも考えられると思うんだ。


俺は実際に経済の事を勉強して会社勤めや工場勤めが馬鹿らしくなった方だ。


宗教というのは教育から悪賢さが身につかないように人を従順に育てようとするものが多くて、その中で育った人が教育を生み出した。どちらかというと宗教家よりも人間を性善説に捉えていて、道徳を教えなくとも人は互いを尊重してよく生きると思っていたのだろう。しかし性悪説とも性善説ともなしに、人は生まれや育ちで良くも悪くもなり、悪く育った人が百科全書でお金の稼ぎ方や見つからない犯罪の方法を学んでしまうということもあるわけだ。


いまインターネット百科事典ウィキペディアってのがあるけど、これはまさに百科全書の近代版で、検索で簡単に百科事典を読める現在は、悪い人が悪賢くなるスピードも加速させてるんじゃないかと思うのよね。


俺がなんとなく直観でオープンソースのプログラム開発をやめたことは、コンピュータの利用者全員が善意的ではないと考えるとすっきりまとまった。善意のコンピュータ解説ホームページやオープンソースでパスワード破りやコンピュータウィルスを勉強してしまうやつだっているわけだ。


新聞で小学校の道徳が義務教育に入ったり外れたりということが論じられていることがあるけれど、そういうことなんですよ。


大阪維新の会の橋下市長が「宗教の前に人の道がある」と言いましたが、人の道を説くのが本来の宗教ですよ。ただ大乗仏教には念仏を唱えれば悪人も成仏出来るとして、信者獲得のためにその人物性を解かない宗教もあるんですよってことです。


それで、これからどうしたらいいかってのは、はじめに書いたようにコンピュータ技師ひとりではどうにも収拾がつかない。みんなで考えようよ。


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