正反対?それとも?

俺は20代のある時に「日本の最高学府は東京大学だから、著者が東京大学卒の本ばかり集めて読む」と決めた時期があります。


東京大学の関門を通り抜けた人の本というのは著者がモノを知っているし自己矛盾が無く読みやすいものが多い印象でした。読む人に対する配慮が足りているとも取れます。


その中で和田秀樹先生の心理学の本を端から読んだ中で「お山の大将を気取らずにトップグループのドベを取れ!」という言葉があって、座右の銘としていたものですが、ちょっと最近辞書をながめて「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉にブチ当たりました。鶏口はニワトリの口すなわちお山の大将、牛後はウシの尻尾すなわちトップグループのドベ。正反対の意味じゃないですか、どうしましょう。


もっと辞書を引くと「寄れば大樹の陰」のように大きなものに付きなさい、という言葉もあるのですが「鶏口となるも牛後となるなかれ」って言葉は秦の時代の歴史があって初めて語られる言葉だそうです。当たり前だけどケースバイケース。でも座右の銘としていたものの正反対を受けると判断基準が揺らぎますよね。


でも、それでいいんです。判断基準が故事のとおり短絡的にモノを断じるよりも、何かの選択を迫られた時両方のリスクと見返りを考えて判断する方が人として賢明だから。かといって未来も読み切れるものではないか。何故なのか、という背景を無視して故事にこうあるから、偉い先生が言ったからでは後から後悔するかも知れんのよな。


鶏口牛後の場合は国の面積や人口などの規模から出た言葉で、和田先生の言葉は学力や業務成績など評価の軸がある場合のトップグループなので、単に大きい方という意味ではないのですよ。さらにいうと聖書には「大きな神殿の司祭になりなさい」というような下りがあって、これも鶏口牛後の正反対。


まとめるとグループの大小の問題とすると、大小どちらにつくも賛否両面の格言があるけれども、グループの成績の良し悪しからすると「能につかんとする人」や「朱に交われば赤くなる」からして、良いグループに付くべきだろうという指針がさらに確固となったわけです。


「これの反対のケースってどうだろう」とも、また考え出すと、まあ堕落への道はいくらでもありそうなものですが。