朝日を写真に撮る

台所の小さい窓から朝日が入ってきて、そこにタバコの煙が浮かぶと白くモヤモヤした帯になる。これをカメラに撮ろうとして以前は撮れなかったが、iPhoneのカメラで試すとまあまあキレイに撮れた。オーロラはカメラに写らないと子供の頃にテレビで見たけれど、今のカメラなら映るんかな。一度くらいは見てみたいと思うけれど、そのためだけに旅に出るほど見たいわけでもない。


カードゲームをしている良い大人に「子供じみている」と馬鹿にする人と言うのは心底からそう思っているわけでなく、そういうもので勝負しても複雑なルールが理解できずに負けるのが分かり切っているから、バカにすることで解決しようとしている。本当にタチが悪い。俺は元々ゲームで遊ぶ人とばかり付き合ってきたから、ゲームで勝負してその結果はみな受け止めることが普通だと考えてきた。負け惜しみを言うヤツはいる。俺はグループでの評価をゲームの腕で序列化していたので負け惜しみは評価だと思っていたが、近ごろはゲーマー以外の人と付き合うようになり、そういう人のほうが実は勝敗にひどく拘っていて、負けるとバカにされるのが怖いから勝負を迫られないように必死でゲームをバカにして攻撃や防御をしているのだ。負けを受け入れることが出来るゲーマーより勝負において未熟。


他のゲーマーはどうか知らないが、少なくとも俺は負け惜しみを言ったりバカにする行為はそれなりの効果があると思っている。勝負事は負けるよりは買ったほうが良いのだが、勝つのが当たり前になると、自分を負かすくらいの相手と勝負してみたいと思うようになるものだ。しかし、そういう境地にして勝負に臆しているものと接するにはどうすれば良いのかという術を俺は持たない。土俵に上がってくるなら受けて立つ。しかし、カタナで斬る真剣勝負なら勝負しないものは死んで臨終するが、たかだかゲームと言う余興は相手にされないと強制力のようなものは無い。


ちょっと話を横道に逸らすが、俺は高校の時に日本史を選択しなかった(世界史と倫理と政経)日本史など取るに足りないと思っていたが、社会に出ると日本史を重んじる年配と付き合うこともある。年配さんの言うには、日本史は史実として理解するものでなく、例えば織田信長豊臣秀吉徳川家康ホトトギスの話と徳川家が繁栄したというエピソードから「せっかちはいけない、待てば良いことが有る」という訓示を学ぶものだと諭される。しかしだ、日本人は長らく農耕民族として暮らしてきたが(現代は貿易や製造が中心)農作業ひとつとって見ても、種を撒いて待つだけと思っていたら、雑草狩りに害虫退治に食事の準備に農民と言うのは忙しいものだ。日本史は武士のような身分の高いもののための学問で、学歴を得て会社員になれば机で待っているとメシが用意されるのかも知らんが、身分の低いものはそうではないのだ。


「せっかちはいけない、待てば良いことがある」というのはケースバイケースで、物理のように必ずそうなるものではないから、やはり好きにはなれない。学べば学ぶほどそうではないケースが思い浮かぶが、そういう訓示に満ちた人の思想がどうなっているのかを理解するためには日本史の勉強が必要で、敵を知るために日本史ももっと勉強したほうが良いかも知れないと思うことはある。


日本史をしっかりやったら、どうやってバカにして解決する大人をカードゲームで負かすことが出来るか、織田信長的に刀を持っていたら勝負しないものは斬って捨てたいところであるが、俺は毎日ブログを書いて待っているのである。ただ待たずにキーボードを叩いているので方法論としては豊臣秀吉であろうか。ブログなんてやめて日がな寝てしまえば徳川家康になる。


しかしこれは論語のエピソードと矛盾する。日本の学問は儒教の思想を受け継いで作られており(現代は西洋学問の輸入が中心)原典に触れて日本的解釈との違いを知ることは平家よりも源氏が強いと言う日本史的なアプローチからの戦い方だと思っているんだけどな。


今年のNHK大河ドラマは軍師勘兵衛であり、テレビがスポットを当てる人物は教科書とは少しアングルが違う。義務教育にプログラムが入ったりもしている。いつまでも日本史のホトトギスのように机に付いて待っているだけの穀潰しは死んでも良いんじゃないか。ホトトギスはとっくに鳴いて飛んで逃げているんじゃないかと思うんよね。

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