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賢いとはどういうことか

朱鷺(トキ)は絶滅して鷺(サギ)は繁殖する自然界。規範的な人より狡猾なもののほうが世の中上手く渡っているように思える。賢いとはどういうことか、そんなことばかり考えてしまう。


賢いとはインテリジェンスとは。物知りである、アイデアマンである、弁が立つ、要領が良い。「賢い」だと漠然としていてもその知性がどのように役立ったかを明確にすると、見えてくるものもある。俺は15年コンピュータ技師であったけれど、コンピュータを手にして何か課題があるとものを解決出来るが、コンピュータが無いとぼっとしていることが多い。暇つぶしにもコンピューターゲームをしたりテレビを見たりするくらいしかない。ブログを書くのもパソコンだ。


例えば学校なら毎日テストがあるので、成績優秀者は賢いという評価を得られるだろう。しかしテストの無い世界でテスト勉強で身につけた事を体現できなければ賢いとは評価されない。「賢いとは学校の勉強が出来るという事と違って〜」という人がいるが、学校において賢いという事はテスト勉強が出来る、先生の質問に答える事が出来るという事だ。プログラマーの世界もまたお客さんの思った通りに動くプログラムが書けるという事が仕事が出来るという事であって、学校の勉強で好成績を取るというようなことと仕事が出来るという事が似ていてやりやすかった。


しかし、お客さんの求めている物は良く動くコンピュータでなくセールストークである場合なんかもある。セールスマンが気に入ってコンピュータを買ってやっているときに、その製品がどういう機能かなどは意味が薄い。技術職より営業職が強い会社というのはそういう構図があるからだ。セールストークが上手いというのも賢さのひとつではあるし、俺はそういうことは苦手だ。


俺が仕事をやめたのは職場の評価だけでなく家族の評価やネットの評価が気に入らないからで、収入に不満は無いが結局収入を何に使うかと言うと食事以外は貯金で買うという行為で社会的評価を得ると言う構造に飽きたからだ。高いものを買うと賢いですねと言われるが実際にはバカなのだ。しかし、狡猾な人間はバカを賢いと褒める事で利益を取っている。そうなれない俺もどこかバカなのだ。楽な道といばらの道がある時に向上心があるなら迷わずいばらの道を行けというような人生訓があるが、頭というのはラクをするために使うもので俺は徐々に楽なほうを選ぶようになって、ついには会社員をやめて投資に回ったのだ。


俺は投資が成功して自由時間が増えたときに古い友人に色々の話を持ちかけて、仕事なんてとっととやめてラクになって欲しいと色々の方法を提示したが、誰も聞く耳を持たず、しまいには「仕事が無くなってセールスをするようになった」という噂さえされたが、投資に成功するという体験を通して、カネがあって暇を持て余したら同じ境遇の人間は少なく、暇があって金のない人間に金を払って遊んでもらうしか遊び方が見つからない。俺はカネが無くても遊べるタイプなので、同じように暇とカネがある人間を見つけて一緒に遊びたいし、古い友人にもそうなってほしかった。


俺は平日から街をぶらついてカネと時間の使い道を考え始めたが、そうするうちに俺の姿を見て「何もしていないアホだ」という人が現れ始めた。地元の商店街は客が無くなって貴金属や眼鏡やレコードを売っていた店のオッサンが市場から野菜を仕入れて来て店で売っている。俺はその商店街の取り組みは放っておいてパソコンで株の値動きを見て、親父の店を店番している時に客が来て100円の商品を買うのに20分の無駄話をされると時間を奪われたと感じるのでついに店も閉めてしまった。もちろん投資がいつまでも成功する保証はないが店は完全に赤字だし、そこで宝石を捨てて野菜を売っているオッサンに並んで日銭を稼ぐというのは愚の骨頂だと感じているのに、そのオッサンからアホと言われて本当に心外だったのだ。


俺はそのオッサンのほっぺたを札束でひっぱたいて「アホと言った事を詫びろ!」とやりたいところではあるのだけれど、賢いとはどういうことかをもう一度考え直す事にしたのだ。朱鷺は良くて鷺がダメなら、ひとりで金持ちになっても、近所の人に手を差し伸べられないということもまた、自分が嫌う類の罪なのではないかと、これを書きながら少し分かり始めている。


まあ、街をぶらつかないで部屋に隠れてテレビやパソコンを一日中やっていたら噂も立たないので、今はそうしている。


俺は商店街で生まれ育ったので、商いで上手くやって初めて近所から「賢い」と評されるのかもしれないが、インターネット通信販売で商店より安くものが買える事を富裕層の誰もが知ってゆく世の中に商店街の年寄りから見て売りっぷり良いお店番というのはちょっと現実味の無い理想像じゃないかと思うのよね。ラクして食ってるんだから年寄りからアホと言われる事くらい我慢するのもひとつの道ではある。


我慢って欲求解消の中ではいちばん低レベルだと保健体育で習うんだけどな。自分で自分の事を賢いと思うのなら、我慢よりもっとよりよい解決の道を模索して、うまくやっていきたい。