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歳取るとゲームで喰うってのも辛いですし

俺はシステムエンジニアからゲームプログラマーに転向しようと考えていた時にゲーム業界の先輩から「歳取るとゲームで喰うってのも辛いですし、せっかく建築やら医療やらのSEという安定した仕事があるのに」と止められたものだけれど、今暇になってスターフォックスを最後まで遊んでみて、これを1年間毎日8時間やらねばならんと言うのも辛い話かもしれんと言葉の意味を噛み締めている。


しかしまあ、システムエンジニアなんてのも安定はしていないと思っているのだ。むしろプログラマーの業界から足を洗って別の生き方を見つけたほうが良いという人も多い。コンピュータが事務をするようになると一般事務は完全に遊びになるので、産業革命のようにデスクワークすらも淘汰されてなくなって行く時代ではないのかと思う。そうすると失業者は増えるが実質的には社会は繁栄するはずで、何もしないで遊んでいても食って行ける人がもっと現れるはずなんだ。浮浪者だって肥えている世の中、メシの心配はしなくていい。あとは身だしなみを安く解決出来れば遊んで暮らせる。


遊んで暮らせるのと、ゲームクリエイターや漫画家、舞台役者、画家、音楽家あたりがどう違うかと言えば、やはり暇な人同士で娯楽の需要と供給があって、供給でもメシが食える。需要する人は何かで働いて稼いで生活費以上の遊ぶ金がある。大抵の仕事は儲けがあって、儲けた分でスーパーで食材を買うとその食材にもスーパーの儲けは乗っていて、お金と言うのは何もかもが必要最小限ではなく、儲けて払って払った分の内のいくらかは相手の儲けで幾重にも積み重なった儲けが価格を作って経済は成り立っている。


ゲームを自分で作ると先に挙げたスターフォックスなら宇宙船の絵の参考に古いSFを読むという事はある。舞台だって小説を元に脚本を書いたりするし、音楽も何も手がない人はクラシックから習う。日本では工業製品の特許は堅く守られているが中国ではコピー品が出回る。なにか作る時にその種に成るものがあって、出来たものもまた別のものの種になる。


そう考えている間に、最初はスターフォックスを毎日8時間は辛いと思ったが、色々の宇宙船を見て自分のゲームに入れる宇宙船を描いて、それを1年続けるくらいなら出来そうだと考えるようになって行く。それを飯の種に出来るかどうかはまだ分からない部分もある。言える事は建築は規模の大小の差はあれ生活必需品で宇宙船の絵は必需ではない。事務所に勤めていた頃の課長のパソコンの壁紙はスタートレックだった。それくらいではいけないか。15年のはじめの3年くらいは退屈して壁紙やスクリーンセーバーを眺めていたが、最後の3年くらいはプログラムコードとのにらめっこだった。


そうだな、壁紙を眺めて過ごしていたときはそこまでゲーム業界に行きたいと思っていたわけでなく、定時に仕事が終わったらゲームセンターで遊んでいて、出来る事なら朝から夕方の8時間もゲームで遊んでいたいと思っていたな。その前は学校に行ってトイザラスでドリームキャストのゲームを買って来て講義室のスクリーンにプロジェクターで画面を映して学校の仲間と遊んだりしていた。その前はゲーセンでバイトをして終わったら給料を返すようにゲーセンで遊んで帰りにセガサターンのゲームでも買って次の出勤日までゲームをしていた。高校は実はサボった事は無いが塾をサボってゲーセンに行く事はあった。ヘタクソですぐ死んでコインをジャラジャラ入れていた。


そのへんが違うんだろうな。今は100円玉1枚で30分から1時間遊べるゲームも結構ある。スターフォックスも最後まで遊んで、例えばラスボスをもっと強くして欲しいとか思った事は一度も無い。なんでこんな攻撃に耐えなければならないんだと思うばかりだ。死ねと言う事だ。クリアすると飽きられる。しかし解けないようにも作れない。そのジレンマが見える。画面に出ている情報以上のたくさんのことを想像しながら遊ぶ。


実は俺はゲームが好きだと言っても学校やバイトで忙しく、今ほど暇を持て余して1本のゲームをしがみ潰す事はしていなかったかもしれない。どれかひとつ決めて腰を据えて納得いくまで遊んでみると、だんだんとどのゲームも似たようなものに見えてくる。絵は全部違うけれども、やることの本質(それをゲーム性とも言う)は同じなのだ。敵の出てくる場所を覚えてその位置に弾を撃つ、避ける、切り返す、重なる、飛ぶ、などなど。


そうするとゲームプログラムもシステムエンジニアもプログラムを組むと言う仕事の本質は似ているし、ゲームの絵を自分で準備する時に美術では静物デッサンをするが、たとえば写真に撮ってトレースするのと模写とがどれほど違うかと言うと、記憶力とペンの器用さなどの違いは出てもやろうとしている事の本質は同じになる。


話を振り出しに戻すと歳を取るとゲームで喰うのは辛いですよと先輩から教わっても、先輩とてある会社の従業員としてそこでの人間関係と仕事のやり方に嫌気がさしているのかも知れないが、ゲームを作ると言う事の本質はモノ作りの本質とそこまで変わらないのではないかと考えられる。聞いたから「ふんそうか」と思ってしまうのがいけなかった。


先輩の言を疑うではない。実際に歳を取って辛いのだろう。しかし、俺が同じ境遇になるとも限らない。それがどうしてなのか分からないまま飲み込んでは、聞いたなり以上の知恵や経験にはならないのだ。


俺の弟はガンプラガンダムのプラモデル)が好きでアニメのビデオを借りて来てどんどんダビングして部屋にためている。模型の雑誌も買う。ガンプラは俺の目からは全部同じに見えるが、しかし俺が今新しいゲームの絵を描くならガンダムのビデオでも見てガンダムに蹴散らされる宇宙船や戦闘機の絵をひとつひとつ真似してシューティングゲームのやられ役にしてもいいだろうなと、20年くらい前のゲーム業界はおそらくそうだったんだろうと分かるようになった。


俺は自分がゲームを遊んでいた頃の古いゲームを今の時代のパソコンで作っているからゲーム作りは楽しいが、「これからのゲーム業界」みたいなことを担えるとは到底思っていない。辛いとしたら、食って行くにはそれを考えなければならないところかなと言う想像をする。


ここまでブログを書いたら、もうウンザリだと思ったスターフォックスをもう一度遊んでも良いなと思うエネルギーが溜まって来た。また遊ぼう。そして何か作ろう。