言葉は全てアナグラム

俺の持論のひとつに「言葉は全てアナグラム」というのがある。アナグラムというのは「オーマイハニー(oh mu honey)」を「ハーマイオニー」などと並べ替える遊びである。ワープロで文章を書くという事は、文字は全てワープロに入っているので、人間の仕事はその中から文字を選んで並び替えるだけである。極論だと思うので、普段人に言う事はないのだが、今日はその事を掘り下げてみたい。


産まれたばかりの子供と言うのは言葉を持たない。胎教で生まれる前から親の言葉を聞いてはいるらしいが、普通の赤ちゃんは泣くだけである。そして親がパパやママなど言って欲しい言葉を教える事から子供の言葉は出来て行く。人によって覚えて行く言葉は自分で選ぶものでもなく、親を初めとする環境の影響で口まねから言葉を覚えて行く。俺の親父は難しい人で聞かれても居ないのに知識をひけらかすために一方的な説教をぶったかと思えば食事の時に新聞を読んで子供の話を聞かないという人だったので、俺は母親から話し言葉を覚えている。母親はほぼ事実上の離婚をしており、母親の新しい交際相手は理知的に話の受け答えが出来る人物で、母親としては俺にそういう新しい父親が出来る事が俺にプラスになると考えたようだが、俺はその人は嫌いで父親が好きだ。確かに父親は言葉だけを拾うとダメ人間だが、俺を喰わすために働いてくれたわけだし、母親は家から貯金を全て持って出て、本人は自分の貯金だと主張するが、父親が家計を母に任せていたので実質的に家族全員のカネを独り占めしてヒモの男を買ったのだ。新しい男は甲斐性なしである。


俺はそういう育ちなので言葉は全て本で覚えてワープロでブログを書いている。子供の頃の話と言うのは本を読んで覚えた借り物の言葉だ。自分の考えと言うのは本を読んで「なるほどコレなら納得がいく」と思った言葉を読んで覚えて口から出す。親が口でモノを言うタイプなら、聞き伝てで話す人ももちろんいるし、そのほうが話し言葉としてなめらかだ。俺の言葉は書き言葉から話し言葉に変換していないので、活字を読み上げたようでぎこちなかったことだろう。昔は本や雑誌を読むのに夢中でおしゃべりだったこともある。いつしか俺は人と話をする機会を減らしてパソコンに向かい始める。


自分の言っている事は何で、それはどこから来たものなのか、自分の生活が苦しいのは環境のせいではなく自分の選択判断が間違っているのが原因で、思考が正しくなれば世の中上手く行くだろうと考えていた。そして思考の全ては言葉が中心だった。勉強部屋で本を読み覚えた言葉を並べ替えてああでもないこうでもないと考える。


その中で至った結論が言葉は全てアナグラムであると言う事。知らない言葉は考えても出て来なくて、覚えた言葉を並べ替える事こそが思考だ。そして、あらゆる言葉は全て国語辞典に記されている。俺は迷った時は国語辞典で今まさに使おうとしている言葉の意味を調べ直す。その度に思う事は、俺は自分で使っている言葉の意味すら全ては理解していないと言う事だ。聞いた事はある、読んだ事はある、言った事はある、しかしいざ書く時にもう一度考え直すと、意味は曖昧にしか覚えていない。ひとこと正しい意味を知るだけで、伝えたい事は随分と簡単になる。言葉の意味を知る事で言葉は意味を持ったものになる。


そうすると苦手となるのは言葉の意味を知らないものである。賢い人との話は簡単に終わる。相手が何をしたい、自分とどういう関係を持ちたい、そのために何をテーマに話し、どういう風に折り合いをつけるか。それだけだ。何も知らないヤツほど自分は何でも知っていると錯覚している。勉強は子供の頃にしただけでもう充分だと思っている。並べ替える言葉の駒が少ないヤツに言葉をイチから教える事は無い。俺はそいつの先生ではないのだから。


A「ナンちゃんはタクティクスオウガを面白いって言うけど、結局はファイアーエムブレムだよな」B「そうだな、同じだな」C「ファイアーエムブレムって何?」


Aにとって一番面倒くさいヤツはCだが、世の中一番面倒くさいのはAみたいなやつだろう。俺はそうしてゲームの話は控えるようにしている(何だこのオチは!)


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