邯鄲の枕

Wikipediaより 邯鄲の枕

趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。


グランツーリスモで遊んでみると、こんな故事を思い出したのでした。


それからちょっと考えてみたんだけど、科学で未来を予測出来るとすると、運命は変えられないということになる。もし人間の判断で未来が変えられるならそれは科学的に未来を予測出来ないことが自明になる。当事者が外世界から予測された未来を知らないまま行動すると外世界からの予測は成立するけど、予測された未来の関係者がその予測を知ることで運命を変える可能性があるとすると、まあ古いSFなんかで語られていそうだけど、バタフライ効果みたいなもんだな。俺の人生の選択肢はグランツーリスモで軌道修正が始まってる。


ストリートファイターIIには人生を狂わされたと思っているが、何故ならあれは上達しても運を回避出来ないギャンブル要素のあるゲームだから。そうでない確実なものを積み重ねることで手に入るものもあるんだと今さらに気付く。