エネルギー保存の法則と人力車


理科で習うエネルギー保存の法則というのがある。まず、それが分からない人は検索でもして下さい。それが分かると、たとえば自動車はガソリンを燃料に走ります。エンジンはガソリンをに点火して燃料を気体に変換してその体積の変化を動エネルギーにして余ったエネルギーは熱になり燃料の一部は排気ガスになります。その排気ガスが環境汚染になると言われてエコカーが発明されました。


しかしですね、自動車の運転者は確かにペダルを踏むとだけのカラダの動きで大きな移動が出来るようになりましたが、自動車工場で働く人がいてガソリンの原料を掘り起こす人がいて、またその掘り起こす機械を作る人もいて、今度は燃料の大気汚染を対策するのにも科学者が必要になって、実は便利になっている人の分だけ奴隷のような人も増えているのではないかと思ったわけです。それを分かりやすくすると人力車です。自動車の発明前は馬車が使われていましたが、馬車馬のように働く会社員という言葉があるように幾ら給料を貰おうがドライバーに比べたらエンジニアは馬の係ですよ。経営者がいちばん得してると働きながら思ったものです。


だから、幸福の総量みたいなもので考えると江戸時代も現代もそんなに変わらないのかなと考えたことがあります。アウトソーシングをしているぶん先進国は後進国の人間を不幸にして幸福な生活を送っている。これはエネルギー保存の法則と同じように幸福量は常に一定で変動しないのであればという話です。


宗教と言うのは善行を積めば死語に浄土に行けると言うような動機付けで人の労働に幸福感を与える役目があります。つまり食事をして得たエネルギーを運動エネルギーにする時に利他的である人を増やして集団的利得を求めています。坊主丸儲けという言葉があるように、そうやって教えを説いている坊さんは口からお経を唱えるだけのエネルギー消費で貢ぎ物をもらっているのです。


まあしかし、エネルギー保存の法則をもう一度考え直すと、燃料を採掘するエネルギーと採掘した燃料が発するエネルギーには差があるので、どんどん掘って機械に仕事をさせれば人間がするべき肉体労働の総量は減るのでしょう。問題は、その間のお互いのロスをどれだけ減らして高効率にするかということになります。そうして暇になった現代人は肥満が問題視されているので、スポーツジムで無駄な仕事をしているのだから、適度な肉体労働が残っている状態で機械を止めたほうが良いのかもしれないとは思いますね。人間は運動することでも快感を得られるものなので、それが満たされる分だけ仕事を残せばエネルギー問題はさらに進展するんじゃないかと。


そのへん、俺はテレビゲームをする側の人間なので、極端に言うと遊びながら広間で歌え踊れと言っているのとどう違うかと言えば、コンピュータソフトはコピーで量産されるので、その罪深さもまた100万分の1くらいなんだろうとは考えてます。もう今まで作られたゲームソフトを順番に遊ぶだけで一生分以上あるのではないかとも時々思います。


その一方で自然の驚異も進化しています。蚊に刺されて熱を出す人は現代社会にまだいます。でも、その発生源が主に発展途上国であることを考えると、将来的には病気や怪我をする人は減って学力の向上で医者は増えて世界中が幸福になるのかもなとは思います。エネルギー保存の法則からいうとその分確実に燃料は動エネルギーに変換されるので、地球は温暖化されずに冷えるのかなという予感はします。エンジンの性質から言うと運動エネルギーに変換しきれなかった余熱が放出されるので一般的なクルマだけを捉えると温まるのですが、直感的にはその反対が予感されます。つまり一時的には温まるけれどエネルギーロスが閾値を超えなくなると冷めて行くということになるでしょう。


総じて人間の幸福量の総和は燃料の発掘によって拡大して、主従の関係はやがて人の苦労をすべて機械が受け持つようになり、自動車と人力車では自動車を使うほうが結局は幸福になる人が増えるだろうと言う論理にまとまるわけです。