命の重みと仏教と

西野カナと言うと暗い失恋歌でデビューしたイメージですけど「ねえダーリン好きになっちゃたのかな」は明るくて良い曲だと思います。まあ、そんだけ俺自身も明るくなったのでしょう。暗い気持ちの時は無理に明るい曲を聴くより暗い曲に共感を覚えるほうが治りが早いそうで。


このところ以前に比べて自殺したいと思う事が少なくなりました。生きてると必ず良い事が有るという言葉は自殺者に向けられる定型文ですが、まさにそんな感じ。何か特別良い事が有ったわけではないですが、将棋ベーシック・オン・ボナンザを作って気持ちが軽くなったのは間違いないです。スタンドアローンの、つまり通信のない完結型のプログラムばかり組んで来たものが通信を覚えてプログラム同士でも人とのつながりがある感覚を持てたとでも言いますか。


「俺が死んだら誰か泣くかな。寝る前たまにそんな馬鹿な事とか考えたりした」という歌詞を某バンドの人が歌っていた事もありますが、後にアイドルプロデューサーになって「日本の未来は誰もがうらやむ」なんて書いてるから、やはり人間誰しも若い時は自分の命の価値に悩むものなんでしょう。俺も爺さんの葬式の時には「俺が死んでもこんなにたくさん人が来るとは思えない。爺さんみたいに見送られて死ねたらな」と思ったものです。死んだ後じゃ本人に取っては遅い気もするけど。


そのへん仏教ってのは墓参りや葬式で死者を大切にすることで、自分も死んでも後の人に拝んでもらえると言う安心感を生きている人間に与えているのだなと。歌手や俳優が死んだらテレビで放送されて何千万と言う人が見るじゃないですか。1日に日本で死ぬ人の数は100万人らしいですが、その中でテレビになるのは1人だけ。そうするとテレビ局のテープに残る人になれる可能性ってそんなにない。でも仏教だったら家族が拝んでくれるじゃないですか。まあでも、自分はそのうち無縁仏になるんじゃないかとなんとなく思うんです。


織田信長が「人の命に勝る価値無しと説くならば、この世のものは皆無価値ぞ」と言うんですよ。たしかに論理としてはそういう矛盾があるかもしれない。しかしこと自分の命にしてみると、価値を感じるのも命あってこそ。若い時は自分が大切で子供が出来たら子供のためというありきたりな考え方で世の中の大体の人はずっとやってきたわけですよ。


そのへん自分の考えが「もうしんどい、早く死んで楽になりたい」から「死んでもやがては無縁仏、まだまだ死んではいけない。今死ぬのは怖い」というような気持ちに変化したわけです。縁があるって死んだ後も大切なことなんですよね。