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ヴィトゲンシュタイン的論証からの脱却

俺はあるとき人生の意味を「人として生まれた以上は自分も結婚して子供を残し次の命をつなぐ。今まで先祖がそうしたお陰で自分がいるし、自分の持つ意味もそれ以上には無い」と言った。独身で子供の無いまま40を過ぎた女性からの評判はすこぶる悪かったし、非難も受けたが正論だと考えている。


しかし、人生の意味をヴィトゲンシュタインが論証しようとしたときに「人生の意味をxとするとxの意味についての新たな意味追求が必要になるため、答えをひとつ入れ子にしただけにすぎない」という本があって、これはつまり人生の意味は子孫繁栄だというと子孫繁栄の意味は何だという問いが生まれるということ。子孫繁栄のためだけに人が生きているとすると家族を持った中年が人生の意味に悩む事は無いはずだ。此れについて俺は「役目を終えたのだから生きるに無意味。子孫繁栄を思うなら子供のために財産でも残す事を目標にしたらどうか」と答えるのだが「そんなことを考えて生きていても、ちっとも幸福感を得られない」とも言われる。


続きはまだ考えがまとまらない。宗教にすがるとか、喰う寝る遊ぶと言う快楽追求とか、逃げ道はたくさんあるとは思うけれど、本質的な問いに対する答えは見いだせない。論証出来ない事は先に書いたように自明なので、答えを求めた人間が堂々巡りに迷うように仕向ける宗教がせいぜいだろう。聖書は「答えが書いてあるから読め」と手渡して普通の人間が読んで理解出来る分量を充分に超えた書物なのだろう。愛や神は書の中で抽象的に語られてその実像が推測出来ない。


人間はみな他人を生かせ合っているので、ひとりで自分が生かされる意味を問うても他の人が生かせてくれるからという以上の答えは無いだろうな。他人に「何故貴方は私を生かす」と問う事がせいぜいだ。世の中には殺す人もいる。