聖書は西洋人の考え方の根幹なのか

日本人の考え方の根幹には儒教があると言われているし、俺の家には生まれた時から神棚と仏壇があって、これは最寄り神社が八幡神社と言って仏教神道も有り難いものとして一緒に奉られる神社なんだよね。その目で見るとキリスト教は異端のエンライテンド。でもクリスマスはプレゼントやケーキがあるから楽しみ。


色々と友人と語らった思い出の中に「結局仏教にはこういう考えがあって〜」という運びになったことって何度かあるけど「コイツ何考えてるかサッパリ分からない」と思った相手って大抵はキリスト教徒なんですよ。これは学んでおかないと危ないなって感覚がある。


東洋人の感覚で言うと聖書はずるっこい技のオンパレードなんだよね。いちばん思うのは俺は子供のとき檀家参りの坊さんから「ウソをついたら閻魔様に舌を抜かれるぞ」と脅されたものですけど、聖書なら「妻の事を妹だと話しなさい」つまりウソをつきなさいという所から違うなって。日本の中のキリスト教徒は日本人の輪の中で相手の人の良さを逆用して益を得ている人が目だつ。それは仏教が坊主丸儲けなのに近いかな。頓知で得している。


だからといってキリスト教徒を排撃するわけにもいかず、西洋人特有の賢いもの同士の仲の悪さみたいのはキリスト教のずる賢い教えが互いに干渉するからなのかなと考えたりもする。聖書は分厚いので、全部読まなかったらキリスト教には利他的で親切な考えも入っているけれど、これはいただけないと思う箇所もあるんよな。民数記とか完全に読み飛ばしてる章もあるので、まあ、じっくり時間をかけて少しずつ読もうとは思ってます。