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アメリカで初めて評価されたこと

ストリートファイターのアメリカ遠征は人生の転機だった。転機と言ってもプロゲーマーになったわけではなく1週間ほどで帰国してサラリーマンに戻ったわけだけど、ゲームの試合で俺は日本人だけどネイティブの観客に大声援を受けて試合が出来た。そして彼らが教えてくれたことは「お前はスターに成りに来たと思っているだろうが、同伴の日本人カメラマンはお前を負け役の格好悪いヤツとして撮ろうとしているぞ」ということで、格好良く勝っている試合は結局日本では放送されず、俺はアメリカのゲーマーならみんな知っているが日本に帰っても誰も知らないという存在に成った。中学からの友人Y君にアメリカ遠征の土産話をしても「読んでいるゲーム雑誌に載っていない。証拠が無い。お前は大ボラ吹きだ」と言われて、それで俺はもう日本での古くからの友人と付き合っても仕方が無いと思うようになった。自分の中に確固とした自身は出来ていた。でも古い友人に受け入れられなかった寂しさはときに確固とした自身と反対の方向に心を引っ張って苦しい時もあった。(証拠無いって言われてもゲーム雑誌にリングネームで写真付きで白黒で載ったんだけど、それが俺だと友人は信じられなかったらしい)


アメリカで評価されるというのは俺が上手かったからとかではなく、文化の多様性を認め合うアメリカの気質の中で当たり前のことらしい。日本ではウメハラが偉くて他大勢はどうでも良くて負けたヤツはバッシングされるし、ヒーローのウメハラに勝っちゃうヤツもバッシングされる。アメリカには人種差別はあるが日本的なイジメは無い。それだけのことなんだよ。


俺がアメリカ遠征に行っていちばん最悪だと思った光景が成田空港から帰りの新幹線に乗り換える駅の光景。日本人て全員すごく暗いオーラをまとっているように見えた。怖いくらいだった。俺も日本人だから、またこの中に混ざって暮らして行かなければ成らない。アメリカは旅行で行くと楽しいけれど、むこうで仕事を見つけて住むと言う勇気はなかった。


俺が日本に住むと決めたのは単に諦めたのは半分そうだけど、もう半分は日本もいずれはアメリカみたいに文化の多様性を認めるようになるんじゃないかという楽観なんだよね。日本はこれから少子高齢化で移民を受け入れてアメリカほどではないにしても多民族国家になる。その過程を当事者としてこれから体験して行くんだろうなと考えています。


・・・とか書いてますけど、円弘志さんという関西ローカルの歌手がいて、お昼のバラエティに毎日出ているけれど、大阪のロケで古いバンドメンバーを尋ねると結局バンドをやっていた頃の恰好悪いエピソードを話されて、ああ円弘志さんくらいになっても昔の仲間ってのはそういうものかもしれんなと。唯一思い通りにいかない相手が俺にとってはY君なんですよね。他のことは心配事なんもなし。平凡で幸福な毎日であります。