相づち打つのが聞き上手なのか

話上手は聞き上手という言葉があって、俺は話すとき聞き役に回ることが多いのだが、小学校の同級生モリカワ君というのがこう言いふらした「わざと間違っていることを言ってるのにアイツはふんふんと聞き続ける。あいつはアホだ。おまけにウソつきだ」この論理は「わざと間違っていることを言う」時点でモリカワ君がウソをついているのを自白しているので俺はモリカワ君ってアタマ足りないのかなーと思っていたが、なんだかんだ大声で言いふらすヤツなので中学で新しく知り合う同級生の間で俺の評価はアホになってしまった。迷惑な話だ。


それはそれとして、聞き上手というのは間違ったことを言っている人に対して適切に反論できなくてはいけないか、ということになる。この言葉自体が古い言葉で、ディベートというのは西洋から持ち込まれた会談の形式で、口喧嘩と勘違いしている人も多い。俺は小学校の頃に口喧嘩から本当の喧嘩になって殴って相手を泣かせたところで先生が一方的に暴力はいけませんと俺を叱り、俺の学年は暴力さえふるわなければどんなに失礼な暴言を吐いても良いと言う風潮があった。怒って殴った方が先生に叱られて負けなのである。俺はその論理のまま成長して高校でも口喧嘩で勝って殴られて、相手は殴ったから悪いんだ、自分は殴らないというような性格をしていた。ストリートファイターに夢中になったのはゲームの世界で殴るのに夢中になっていたんだと後から考えるようになった。


だからまあ、自分が殴らないなら口喧嘩に勝っても殴られて損なだけなので、俺は喧嘩にならないように柔らかく話を丸めるスキルを身につけて育って来た。しかしモリカワ君のようにふんふん聞いていると平然とウソをつきつづける輩というのは世の中にはたくさんいる。正義のためにはそれを否定して口喧嘩の末殴り合いに成ったら殴って勝たなくてはいけない。


話し上手は聞き上手と言うが、俺はべつだん話し上手になりたいわけでもないのだ。失礼なことや間違ったことを平気で言っているのに先生が殴った方だけを悪者にする歪んだ正義感にいま文句をつけたい。