読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゲーム企画はみんなアマゾンでクソゲーを1円で買って来い

ゲーム雑誌というのも昔はコアな編集者がいたのかもしれんが、ゲーム好き、でもプログラムとか組めない、絵も書けない、音楽も作れない、文句くらいは足れるという役なしのライターが作っているので記事は当てにならないと思いながらも月1回病院の待ち合いで2週間分ほどを流し読みする。


学生の頃はそういう役なしライターが書いた「ゲーム業界人になるには」みたいな文章をいくつもド真剣に読んだ。思えばその当時にファミコン雑誌でなくパソコン雑誌を読んで自分でプログラムを組んでいた人が業界で数年先輩だったりするのだが、人の多いゲーム業界では役なしと言えど物書きを領分としている人もいる。その中には「面白いゲームを作る訓練として自分がつまらないと思うゲームについて何をどうすれば面白くなるのか考えてみること」という一見マトモな意見があったことを思い出した。


例えばつまらないゲームの例としてゲーム内容はなにも悪くないのに読み込み時間などが長くテンポが悪いというのがある。プログラマー目線だとハードウェアの性質上画素数を上げるとメモリアクセスが発生して待ってもらわないとプログラムではどうしようもないという考え方になりがちだ。意見として遅いから早くしろってのは誰でも言えるがそのために技術的に何が出来るかも考えておかなければならない。


ドラゴンクエストIIIでは敵を出す前のメモリ読み込みが発生するので、まず驚かせる効果音を出して背景をゆっくり黒くしながら敵の画像を読み込んだ」というのは俺がゲーム雑誌をたくさん読んで蓄えた知識のひとつだ。ファミコン程度のバイト数でそんな読み込み時間が発生したのか今になってはそっちが疑問だけど、パッと切り替わる時に少しでも違和感があるなら、そういう手法も有用かも知れない。ただし、技術的にはマルチタスクになるので高度なプログラムが必要となる。要するにプログラマ頼みなんだけど、そういう手があることを企画職でも知っておくと引き出しが増えるかも知れない。


ゲームと言うかコンピュータソフト全般で操作の小気味よさというのは取っ付きやすさのいちばん重要な点になる。せっかく買ったからにはという気持ちでじっくり遊ぶと大抵のゲームは面白いポイントがあるものだ。そういう我慢強い人は企画職にはきっと向いていないと思う。どこかワガママで「何でもっとこうでないんだ」という改革の気持ちが無いと「これくらいでも充分遊べるよ」という人の集団から気の利いたソフトは出て来ない。


そういう意味ではゲームの作り手として俺はもう死んでいるかもしれない。本当に何を遊んでも自分で作れる同人ゲームと比べて「これはこう言う所に金がかかってんだなー制作大変そうだなー」と思ってしまう。自分でココをこうしたいと思う部分があるとプログラムのどの辺りを改良するかとか具体的に考えてため息が出る。変える前にそこまでのクオリティーに追いつける自信も無い。


しかし、画質などのクオリティーを落としてもサクサク動く方が面白いという観点に立てば面白くするのに一役買えるとは思う。XBOX360のゲームよりDSのゲームの方が手軽に遊べて売れている例もあるからだ。でもね、せっかくXBOX買ったのに絵がDSの画質じゃ納得しないお客さんも出るとは思うし、反対に昔のゲームの復刻版を遊ぶためにヤフオクで100円程度のゲームを3万円のゲーム機で遊ぶ人もいる。そこらへんヒット作ってのは運だけでなくたまたま手に取ったお客さんも取り込むほどに気が利いてるもんだよ。


一度具体的にタイトル名を出して長文を書いたんだけど、あまりに角が立つのでこの文章では意味不明かもしらんけど、売れてないゲームでも少しの辛抱をすると面白い要素はあるし、売れているゲームだけを研究して後追いを作っているだけじゃ見えないものが売れなかったゲームから汲み取れる。汲み取れないなら、そのゲームは販売促進で失敗したか箱の絵が顧客の心に刺さらなかったなどの不運もあるだろうけど、ここをこうしたらなってのがひとつでも明確に出来たら企画としての第一歩は出来てると思います。以上。