ストリートファイターIIの投げハメを哲学してみたよ!

本棚を整理していると栞が最後のページやあとがきの前あたりに挟んである本と本屋で買った時の新刊案内などが挟んだままの本があって、途中で読むのをやめたのが夏目漱石の「こころ」とトルストイの「人生論」なんだなぁと分かりました。思い出せないほど前から書棚の奥にしまってある本です。

そうしてトルストイというのはロシアの文豪として有名ですが手持ちの哲学史には名前がなく、人生論は哲学書ではないのだなと分かりました。哲学書だと思って買ったんですね。「すべての考察に共通する目的に結びつかぬ考察は、たとえどんなに論理的なものであろうと、不合理なのである」という書き出しは哲学的なんだけど。

そんで哲学史を紐解いたついで、近代哲学を読み始めたんですね。哲学というと古代のもので現代は哲学より科学の時代だと思っている人も多いと思うんですけど、ヘーゲルが自分のお気に入りで、ポパーの「科学は前向きに反論を受け入れて発展する」がヘーゲルジンテーゼとどう違うのか始めは分からなかったのですが、読み漁るとポパーヘーゲルマルクスを批判していたことを知りました。

さらにクーンの提唱した「パラダイム」という流行り言葉にもなった言葉は国語辞典で引くと「ある時代のものの見方」とあるけど最初は「学派を同じくする科学者に共有される前提」という意味であると読み解きました。ある時代の人々にあまねく広まった考えではなく、学者だけが共有する考えってことですね。だから新聞やテレビやネットのある現代では科学的に新しい知見として迅速に周知されるので元の意味でのパラダイムと辞書の意味でのパラダイムは非常に近くなっていますけど、広まったからといって等しい理解をしているかはちょっと疑問です。

それでですね、「ストIIは突き詰めると運で決着する」という持論をもうちょっとマトモに説明できないかと考えたんですよ。新しい哲学が古い哲学を批判する形で始まる時に古い哲学の考え方をある部分では踏襲していないと理解できないように、ストリートファイターの話をする前にPCエンジンファイヤープロレスリングの話をしたほうがわかりやすいかなと考えたんですね。

ファイヤープロレスリング以前のプロレスゲームはレスラーが近づいて組み合うとボタンを連打して押し勝ったほうが投げ技を決めるようにプログラムされていました。

しかしファイプロはそれでは連打の早いものが絶対に勝ち、連射機能付きコントローラで簡単に攻略されてしまうので、まず組み合って両者が一定のタイミングで腰を下ろし、腰を下ろしてから先にボタンを押したほうが投げ技を決めるというプログラムが採用されています。もし組み合ってから腰を落とす前にボタンを押すとフライング扱いで腰を落としてからボタンを押しても相手に投げ負けるというルールです。

だからファイプロでは連打の速さではなく腰を落とすタイミングを体で覚えたものが勝つわけです。それこそが腕であると考えられます。

そして、もし両者が同時にボタンを押したらどちらが勝つかというところが極まった場合の焦点になります。そこでプログラムが同時押しの場合にコンピュータで抽選を行ってどちらのレスラーが勝つかを決めていたら、極まると運になると言えるのではないでしょうか。

そこを理解するとストリートファイターIIの対戦がどうして極まると運になると論じているのか分かってもらえると思います。

意思決定の駆け引きである以上は運であるという捉え方に賛否あるかとは思いますが、特に投げ技の決まり方というゲームを決める成否の場面で機械抽選が行われるというのはスポーツというよりはギャンブルに近いんじゃないかな。

投げハメに行って抽選だから運と捉えることも出来ますが、投げを読みきったら入力のタイミングに合わせて無敵の昇竜拳を合わせることも出来るので、抽選に賭けるか意思決定でリスクを背負うか自分で決めることができる。だから運ではないというジンテーゼも見えてきているのかなと。

はあ、長かった。本当にここまで説明するのにトルストイが必要だったのかは分からんけど、自分が考えた道筋を示すとそういうことになるんですよ。


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