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買ったのに遊ばないなんて勿体無いという他者からの抑圧を罪悪に感じるから

俺は3万円で買ったゲーム機だろうと8千円で買ったソフトも古本屋で100円で買ったソフトだろうと、自分に合う合わないで好き嫌いを判断する。

日本政府の予算やデイトレで死ぬほど儲けた人の話などを聞くと、貧乏人は「それほんのちょっとでも分けてもらえたら俺ら一生遊べるのに」と思ったりするものだ。

金持か貧乏かという考え方はさておき、高いものを買って使わないで置いておくのが勿体無いという考え方をする人がいるのは分かる。うちの姉なんかは旦那さんというか義兄さんがリッジレーサーをやりたいと買ってきたPS3を「もう、全然遊ばへんやないの!」と勝手にヤフオクで売ってしまったことがある。

ゲーセンで知り合った人を家に招いて遊んだら「めっちゃゲームいっぱいあるやん」と驚いてから「何か貸して欲しい」になり、数本貸したら連絡が取れなくなって返って来ないという経験を何度かした。そういう人ばかりではないが、そういう人もいる。

恨んだり探したりしても始まらないので、ヤフオクやアマゾンなどで同じものを買い戻したら精神は結構安定する。他人に限った話ではない。弟も今では東京で暮らしているがよく俺がバイトで貯めた小遣いで買ったゲームを両親に「お兄ちゃんがゲーム遊ばしてくれへんねん」とねだって、遊ばしてやると自分のものにしてしまい、結局親に「金返せ」と言って半額くらい取り返すということをしていたが、後になってよくよく考えると面白いのを全部弟に取られた気分になっている。実際に弟が取ったもののほうが面白いというわけではないが、逃した魚は大きいというか、欲しくて買ったのにカネだけ返って来ても仕方ない。

そして寂しいのは、結局みんな俺と遊ぶよりはゲームソフトを借りて絶交するほうがいいのかなという自分の価値が5千円以下にされた気分がするからなんだろうなと。

付き合いが減るほど金は貯まる。寂しいが、取られるよりはそっちのほうが良いと考えるようになった。しかし、俺の部屋には遊ぶこともないどころか封も切っていないゲームソフトがあり、それに対して罪悪感のようなものを感じることがある。反対に壊れるまで遊んだゲーム機ややりこみつくしたゲームソフトを見ると「いい買い物をした」と思うものだ。

ところで、自分の価値が5千円以下に見積もられたのは最初は寂しいと思ったが、果たしてこの相手と付き合って特があるのかと簿記のように考えると、5千円のほうが良いという考え方のほうが下賤ながら正しいのではないか。まあでも普通の大人は人とのつながりは大事だよって子供に教えるけどね。

確か森博嗣の本に添えられた糸井重里さんの紹介文で「お金の使い方の格好いい人」という文言があった。糸井さんによるとお金をたくさん稼いでいても誰かに貢いだりしている人はお金を運んでいるだけだという。自分のためにオモチャをいっぱい買う。そういう使い方が格好いいと。それについて今一度よく考えてみようと思う。糸井さんに格好いいと言われてみたいからしていること、ないかな。本で読んだ刷り込みも結局は他者からの評価だ。

中川淳一郎さんのような賢い人でも「若い頃に椎名誠を読んで分かったが、友達というのはお金では代えられない大切なものだ」と書いているが、普通のサラーマンは友達付き合いをしながらも保険に入って年金を払う。確かに友達はかけがえのないものだと思う時はある。それでも、病気の面倒を見てくれるのはお医者さんや看護婦さんであり、老後を支えてくれるのは子供や孫である場合とヘルパーさんである場合がある。

そうすると、やはりゲームセンターで一緒に遊んで俺が友達だと思っていても相手からするとゲームソフトをいっぱい持っていて借りれる人だと思っているだけであるならば、それはまだ友達にはなっていなくて、俺の脇が甘いだけというふうにも考えられる。

かけがえのない友達を作るというのはフェイスブックでボタンを押すようには簡単に行かないものだ。

俺がゲーセンでの遊び仲間を大事にするのは、対戦型で一緒にそのゲームを遊んで腕の試し合いをすると、少なくともその相手がゲームにどれほど打ち込んだか分かることがあって、自分の好きなゲームをそんなにやりこんでいると思ったら絆のように感じたからだ。

しかし、騙す人間というのは巧妙なもので「あのゲームをやりこんだら仲間にしてもらえるなら自分たちもあれをやってみようか」の市民権を得ているのがゴルフというスポーツ。

俺はもうバイトしながらゲーセンで遊んでいるわけではない。働いてお金を持つと必ずセールスが家にやってくるし、仕事を教えてもらったりお金をもらうためにゲームをイチから始める人が現れるほど働いたら稼げるんだ。

働くほどにストリートファイターは下手になり、ネットゲームも出来なくなり、昔の仲間からは疎外感を持つ。そしてカネで買えるものから何かを探す。だから見つからないのかもしれない。仕事をやめて遊ぶと見えてくるものもある。

昨日は風来のシレンDSをクリアして「このくらいの満足で生きていけるならシステムエンジニアに復職するよりは大阪日本橋の中古ゲームショップやゲームセンターのアルバイトをして生計を立てるほうが生活にジャストフィットするかもな」と考えてみた。そのへんは契約制のシステムエンジニアの仕事を時給のアルバイトに換算すると、雇ってもらえる間はシステムエンジニアをしたほうが結局人生の中で働かなければならない時間が減って、ゲームもいっぱい遊べるのかなと言う勘定を一度は立てた。

でも、システムエンジニアの仕事って本当に働いている時間だけで成り立つのかな。パソコン買い替えたり本読んだりスーツを新調したりと、見えていない出費や時間投資も結構あるんじゃないかな。5月になって花粉症が治まったらまた働き方を考えよう。

それまでに頑張ってゲーム遊んで積みゲーをもうちょっと減らして、心を軽くしておきたい。買ったのに遊んでいないゲームが心の負担になっていると分かっているなら。